なんと2023年ももう6分の1が終わったようだ。またもやブログの更新をサボリ気味になっていたのだけれど、Web拍手やコメントをいただいたのをきっかけに、なにか書こうという気持ちになった。そこで以下に、この1月と2月の大きな出来事を振り返ってみようと思う。
大寒波
1月24日、記録的な寒波の夜、わたしは友人たちと四条でお酒を飲んでいた。酔っ払いすぎるとほんとうに帰路で死ぬというスリルがすごかった。無事に帰れました。よかったね。
その日寝てあくる朝起きたら、鴨川の表面が凍っていてとても驚いた。これほど雪がつもると嬉しくて居ても立っても居られない。世界がとても静かなのに明るくて不思議な感じがする。
温泉・松葉蟹・美術館
いつぶりかわからないぐらい久々に、同居人と二人ともまったく予定のない連休をつくることに成功したので、近場の温泉宿に一泊二日で滞在し、松葉蟹を味わってきた。
ちょうど寒波が来ていて、お部屋の露天風呂で雪見風呂を存分に楽しむことができ、なんとも贅沢な滞在だった。
次の日は、ものすごい雪の中をドライブ。
目的地は、ずっと行きたかった安野光雅美術館。
天候のせいか、自分たち以外にお客さんがおらず、あたたかく静謐な空間を貸し切り状態で味わえた。
吉田神社節分祭
人々の賑わいがふつうにあるのが嬉しい。屋台でイワシの焼ける匂い。松井酒造のお酒を今年も、参道を歩きながら飲む。
お祭りに来ると、ふだんの生活で全然出会わないようなファッションの人々がいておもしろい。まだ全然知らないことが、身近なところにもたくさんあるのだとわかる。
オーケストラ公演×2(うち1つは遠征)
1〜2月は、月に1つずつオーケストラの本番があった。
1月は、東京ユヴェントス・フィルハーモニー×オーケストラ・リベルタの合同演奏会。ショスタコーヴィチ《レニングラード》をメインに、あまり知られていないソビエトの作曲家たちの作品を組み合わせた意欲的なプログラム。ミューザ川崎での公演で、自分としては久々の遠征であった。練習や打ち上げでは、初めてお会いするユヴェントスの方々を前に人見知りを発揮してしまい、もっと交流したかった、という思いも残る。今度は関西で合同演奏会が計画されているようなので、次こそ……!という気持ち。
そして2月は、京都新祝祭管弦楽団の特別演奏会。京都府民ホールアルティで、小編成オケでのヴィーン古典派プログラム。エンドレ・ヘゲデューシュ氏によるハイドンのピアノコンチェルトがすばらしく、そのあとのアンコール(ショパンのバラード1番)も非常によかった。自分の演奏はというと、納得行かない箇所もあって練習不足だったな〜と後悔するも、お客様や仲間たちからは嬉しい言葉もいただき、次はもっとがんばろうと思った。
Crazy Gal Orchestra 活動開始
ギャルサー(ギャルのオーケストラサークル)を結成し、活動を始めた。noteにはいろいろ書いているけれど、まあ簡単にいうと……クラシック音楽の世界に残る伝統的価値観とか慣習とかに縛られず、自分たちが面白いと思えることをしていこう、という団体である。
当面の活動は女性作曲家の作品を研究・演奏すること。第1回ライブの開催と、機関誌第1号の制作・配布を目標にがんばっている。
大学を離れて何年も経った今、久々に音楽学研究者の先生方とやりとりしていて、なんだか懐かしいです。ひきつづき楽しくやっていく。
洋裁
久しぶりにワンピースを縫った。今回はいままでの制作の中でもうまくいったほうだと思う。さっそく、演奏会を聴きに行くときに着ていった。
自分で服をつくるのは、ふつうに服を買うのとそれほどコスト的に変わらなかったりするし、もちろん時間がかかるし、その割に、出来上がってみたら全然着られない/似合わないと判明することだってある。しかし、うまくいったときは既製品なんてもう買わないと思わせるほどのフィット感、お気に入り感のある一着となる。
そんなわけでとにかく、洋裁は心に余裕がないとできない趣味なので、今回、好きなものをひとつ縫い上げられたこと自体がほんとうに嬉しい。
自宅での室内楽発表会
以前の記事で「自宅でサロンコンサート的なものを開催することにした」と書いた。これを予定通り開催でき、予想以上に面白い会となった。
出演者以外にお客さんを一切呼ばないで、個人宅というクローズドな場所でやる発表会。形式的にはいわゆる弾き合い会のようなものだが、かなり充実したプログラムだった。管・弦・ピアノ・歌といろいろな編成で、15曲以上が披露された。緊張感あふれる場面もあれば笑い声が上がる場面もあり、緩急のついた良い時間だったのではないだろうか。
演奏の合間にはお茶とお菓子、演奏のあとにはお酒とお料理を楽しんだ。演奏抜きでのお茶・お酒とは、やはりぜんぜん違う楽しさがあるなあと思う。参加してくださった皆様に感謝。ぜひ次回も開催したい。
親族の死
上記の発表会をやっている途中に、突然実家から連絡があった。結婚式にも来てくれた親族の訃報だった。
わたしは幼少期〜高校生の期間に、たぶん一般よりも多く家族や親族の死を経験していて、今考えるとあの頃はなんだか、死という事象に対する感性が麻痺していた。しかし大学に入って以降、一度もそういった場面が訪れなかったので、今回の訃報には正直、自分でもおどろくほどショックを受けてしまった。しかも、わたしが物心ついてから経験してきたのはすべて、病気等での明らかな衰弱を経た、あらかじめ予測された死、そして闘病の苦しみからの救済でもあるような死だった。近しい誰かの生の終わりを、これほど唐突なかたちで知らされるのは、生まれて初めてだったといえる。
葬儀で棺に入れられる思い出の品や、故人が生前に好きだったものたちを見ていると、わたしが知らないはずの若かりし頃の故人が、生き生きと語りかけてくるようだった。すべての人にこういう人間としての温度があって、でも、そのぬくさは最後にはすべてなくなってしまうんだということを、急に突きつけられたようで泣いてしまった。その上から全員が少しずつ手向ける生花の色と香りが異様に鮮やかに感じられて、目と鼻の奥がヒリヒリと焼けた。死がもたらす別れがこれほどまでにつらいのなら、やっぱり初めから生まれたくなかったし、生まれてしまったとしてもせめて、誰のことも愛されなければよかったと思う。でも、そんなことを今更思ってもどうしようもない。生きることは本当に、どうしようもないことだ。