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2023年3月

明らかに春がやってきて心がそわそわする。

3月はものすごくいろんな人と話す機会があって、とても刺激の強い月だった。車道で風に舞うビニール袋みたいに、わたわたと翻弄された日々である気もするけれど、自分だけでは絶対行けない高い空に舞い上がれている、と思う瞬間もたくさんあったりとか。

一日のうちに一番たくさんの人と話したのは、大学時代のオーケストラ友達の結婚を祝った日だ。弦楽器の人と管楽器の人の結婚だったから、セクションを超えて当時の友人たちが集まる。何年ぶりなのか計算できないくらい久々に会う人もいた。

共に新郎新婦のこれからを寿ぎつつ、空白になっていた互いのこれまでを埋め合う。ぎこちない口調で恐る恐る会話を始めるのに、気がつくと心地よい水温のプールに一緒に浸かっているみたいな感じになっていて不思議だ。

順番に、みんなの人生の話を聞いた。自分が経験しないことを誰かが経験してくれること、そしてその感じを話してくれることがうれしい。この世界の仕組みが尊いと思うし、カラフルすぎてめまいがする。ひとつ話を聞くたびに、パレットの色が増えていくのを感じる。

でも今思うと、あのとき話した友人たちはまだ自分に近いところにいる人たちで、実際の世界というのはこれどころじゃない色で埋め尽くされているし、そのほとんどをわたしはまだ認識していないんだろう。自分の生活は、大海を懐中電灯で照らしているレベルで、広さも深さも全然、ほとんどどこにも届いていない。

つまり朝起きてから夜眠るまでずっと、一寸先に知らないものがあふれているはずなのに、わたしは全然見えていない。見えないまま、知らないものにさわっている。そういう現実の怖さ。うれしさ。4月はもっとなにかに気づくことができるのだろうか。目の前の何かを見るということは、いったいどんなふうに可能になるのだろう。花の隣に芽吹いたばかりの新緑の、すきとおる葉脈をじっと見つめる。

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京都在住。創造的なことすべてに興味があります。

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