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2023年8月、9月

なんだかいろいろなことをやりすぎていて自分でもどうやって生活しているのかよくわからない。とにかく、時間が飛ぶように過ぎていった。とりあえず、思いつくことから書きはじめてみます。

母と行ったお店に生けてあった百日紅
目次

母親の生活史をまとめる

8月、母が還暦を迎えた。プレゼントしたのは、お食事と花束、そして母自身の「生活史」を私がインタビューして書籍にしたもの。

母親のこれまでの人生の話を聞いてまとめるという企画は、わたし自身にとっても非常に有益なものだった。自分の母親に「知らない顔」があることぐらい頭ではわかっていたけれど、思っていた以上にわたしは彼女のことを何も知らなかった。これまでに聞いたことがあるエピソードも、人生という大きな文脈の中で語られるとまったく違う手ざわりを帯びた。

一番印象的だったのは、「生い立ち」「キャリア」「ライフイベント」のような概念からこぼれおちていく、取りとめない話、あるいは「話と話のあいだ」の部分にこそ、母親の「その人性(そのひとness?)」が一番色濃くにじみ出るということだった。

人生は決してつるつるしたものじゃないし、起伏があるとかそういうのでもない、強いて言うなら、あるのは「ひだ」だと思った。うまくいえないけれど、でも、そこに人間存在の希望を見たような気がしたのだ。

何かを成し遂げた日には、実は人生の旨味はない。名付けようのない、どうしようもない日々こそが、わたしたちを美しい存在にしているのだと思った。

「ANONYM」というブランド

この秋、友人と共に立ち上げたライフスタイルブランドを「ANONYM」という名前にしたのは、みんなでいろいろ話し合っての結果だったけれど、もしかしたら上で書いたような感覚も、伏線になっていたのかもしれないなあと思う。

何者でもない自分、なんでもない日、が存在することの素晴らしさ……というか、存在してもいいんだよ、というのを伝えたかった。自分に言ってあげたかったのかもしれない。

これは商品についてくるパンフレットの一部
https://anonym.style/ / @anonym.journal

それは、「普通でいい」とか「普通でなくていい」とか、そういうのとはちょっと違うし、さらに「自分らしくあっていい」というのも違う。そうだね、自ら「自分らしさ」を目指すのは一番違う、自分の目標の真逆とも言えるかもしれない。

自分を「自分」って定義した瞬間に、自分が他人になる、よそよそしくなる感覚がわかりますか? わたしは解離性障害を持っていて、自分が自分じゃなくなる恐さを通常より強く感じてきたこともあって、そこに陥ることなく自分であり続けるにはどうしたらいいか、けっこう長い間考えてきた。

つまり「『わたし』である」のではなく、ごく普通に「わたしである」ような状態を目指してきた……とでも言おうか。

「わたし」でなく、わたしであること

「『わたし』である」のではなく「わたしである」とは、どのような感覚だろう。

例えばわたしは目の前の世界をうまく呼吸できているとき、わざわざ自分のことを「わたし」だとは思わない。それが、わたしである状態なのだと思う。

じゃあ、目の前の世界をうまく呼吸するには? まず、自他の境界のイメージを変える。空気とか光とか香りがちょうどよく浸透できる、丈夫だけど風通しのいい半透明の膜みたいなものに。そして、目の前の風景をじっくり見る。聞く。さわる。膜を通して、全身で空気を吸い込み、世界を味わう。

そのうちに、この世界にはきれいなもの、すてきな手ざわりのものが、意外とたくさんあると気づく。そしてそんな世界を、自分は取り込んだり吐き出したりしていて、世界が自分をつくっているし、自分が世界をつくっているのだという感覚になる。つまりきれいなもの、すてきなものは、自分の中にもある。でもそれに気づくには、まず目の前の世界にきれいなもの、すてきなものがあることに気づかなくてはいけない。

そういうことで、ANONYMでオリジナルのコーヒーブレンドをつくると決まったとき、「なんでもない日々の中にある特別な瞬間」にフォーカスしよう、そういう、世界のきれいなものやすてきなものを、なるべくたくさんピックアップしよう、そう言われたらたしかにつまらない今日にも、最悪な昨日にも、一瞬きれいな光景があったかも、次は見つけられるかなって思ってもらえるきっかけを0.000001%でも多くつくろうと思った。

そういう世界との遊び方にこそ、その人らしさが自然と現れるのだし、みんながそういうふうに遊んでいるうちに、世界はもっと楽しいものになると思ったのだ。

やるかもしれないインタビュー(聞いてほしい人募集)

でも、そういう願いをわかりやすくプロダクトに反映できているとは、まだ言い難いと思う(というかここでも全然わかりやすく語れていないね)。

どうしたらこの想いを、腑に落ちやすい形で知ってもらえるんだろう、と悩んでいたときに、自分が目指している状態のもっと具体的な事例を、いくつも集めてみるべきなのかなと思った。たくさん集まれば、星座みたいに浮かび上がってくるものがあって、ビジョンを共有しやすくなるかもしれない(あわよくば商品ももっと売れるかもしれない)。

ということでもしかしたら、たくさんの人に「何者でもない人」として「わたしが最近過ごしたどうでもいい日の、なんか世界がいい感じだった瞬間」みたいなものを語ってもらうインタビュー連載コンテンツを、ANONYMのサイトかどこかで始める? かも? しれない。始めないかもしれない。事業の一部としてというよりも、わたしのライフワークとしてやりたいのかもしれない。やらないかもしれない。でも、やりたい気持ちが、とてもある。

もともとインタビューがそんなに好きじゃない人間だったのに、こんなことを考えるようになるとは。母親の生活史を聞いたことが、自分の中でいかに大きい経験だったのかがわかる。とりあえず、最近過ごしたどうでもいい日のことをなんとなく聞いてほしい人がいたら、わたしに連絡をください。↓の拍手コメからでも、会ったとき突然言ってくれてもOKです。

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京都在住。創造的なことすべてに興味があります。

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