今度チャイコフスキーの交響曲第4番に乗せてもらうことになり、
曲について調べていた。
パトロンであるメック夫人に宛てた書簡に、作曲家本人による曲の構想の説明が残っているという、レアな作品。
まず、曲について説明する部分のはじめに、次のような記述がある。
交響曲全体の核となる示導楽想、『運命』。
われわれが幸福に向かおうとしてもその実現を阻む、運命の力…
Интродукция есть зерно всей симфонии, безусловно главная мысль. Это фатум, это та роковая сила, которая мешает порыву к счастью дойти до цели, которая ревниво стережет, …
*和訳https://www.nhkso.or.jp/library/sampleclip/
*原文http://www.tchaikov.ru/1878-101.html
*1878年3月1日(ロシア歴2月17日)付、N. F. von Meckに宛てた書簡。ロシア語は1mmもわからないけれど、たぶんこの箇所かなというところを引いてみた
ひとまず、この曲は幸福へと向かう力とそれを阻む力、という二大勢力で成り立っていることが明らかになる。
困難を乗り越えて幸福へ……という感じなのでしょうか。
その後、各楽章について綴られているのだが
その中でも第4楽章に関する表現が特に目に止まった。
自分のなかに喜びを見出せないのなら、周りを見渡し、民衆のなかに入りなさい。
彼らはなんと楽しげなんだろう。民衆のお祭りのイメージ。
再び運命の力でわれに返らされても、誰もあなたの悲哀には気づかない。
この世の全てが悲しいなどと言ってはいけない。
他人の喜びのなかで喜びなさい。そうすれば生き続けることができる。
Если ты в самом себе не находишь мотивов для радостей, смотри на других людей. Ступай в народ. Смотри, как он умеет веселиться, отдаваясь безраздельно радостным чувствам. Картина праздничного народного веселья. Едва ты успел забыть себя и увлечься зрелищем чужих радостей, как неугомонный фатум опять является и напоминает о себе. Но другим до тебя нет дела. Они даже не обернулись, не взглянули на тебя и не заметили, что ты одинок и грустен. О, как им весело! как они счастливы, что в них все чувства непосредственны и просты. Пеняй на себя и не говори, что все на свете грустно. Есть простые, но сильные радости. Веселись чужим весельем. Жить все-таки можно.
わたしが一番おもしろいと思ったのは
「誰もあなたの悲哀には気づかない」というところ。
へえ、そこが大事なんだ。という感じがして……
しかも、誰も自分の悲しみに気づかないという事態をポジティブに捉えている。
この4楽章についての段落全体に書いてあるようなことには共感できる。
こういうことって何度か経験したことあるもの。
周りの人々がすごく楽しそうだから楽しい気持ちになってくる。簡単に言えばそういうことなのだと思う。
でも、このような経験がなぜ、どういう仕組みで起こるか?
というのはそもそも考えたことがなかったなあ。
しかも「誰もあなたの悲哀には気づかない」ということがポイントだとは
夢にも思わなかった。
他人が自分の感情に気づくかどうかを考えたことってあんまりないなあ。
そして、「他人の喜びのなかで喜びなさい」なんだなあ。「他人の喜びを」じゃなくて(原文でもそういうニュアンスだと信じて書く…)
それってどういう感じなんだろう?
周りの人々が放出している感情に包まれて、自分も浸ってゆく…というイメージかな?
自分の感情に浸ることは簡単だけど、他人の感情に身を委ねるのは案外難しいとわたしは思う。
チャイコフスキーってすごく内面的な表現をする作曲家だと思うけれど
ひとりで内面に閉じこもっているのとは、違う感じ。
彼の曲は、少なくとも独り言ではないという印象がある。
この、4楽章についての文章を読む限りにおいても
前提として、自分の感情と他人の感情との間に交流可能性があるというか…
うまく言い表せないけれど。
ロマン派に属する作曲家は皆、作品に感情を表現していると言われるが、
そのときの自他の境界のあり方がそれぞれに異なる気がして面白い。
この4楽章については、
「ものすごく壮大な『ちいさな白樺いっぽん』だなあ」
みたいなごく浅い感想しか抱いてなかったけれど笑
今回、作曲家の意図を知り、もう一度聴き直してみて
この楽章を演奏するのが楽しみになっている。
(もともと2・3楽章が好き。
3楽章はお酒に酔いかけてるときの感じとか、眠りかけに明滅するイメージらしく、なるほどそのものだ! と思った)
それにしてもこのBarenboim/CSOの演奏迫力すごくて笑ってしまう。
youtubeのコメントもなんだか盛り上がっていた……
しばらく本番がなかったのでのんびりしていたけれど、
ぼちぼちリードを用意しはじめなくては。
はあ、がんばろう。