実家にて

約2週間ほど実家に帰省して、母と二人暮らしをしている。
もう明日には元の生活に戻る。

今回はわたしが料理を担当した。

いつも帰省といえばお盆やお正月、1泊2日くらいがほとんどなので
少し特別なものをごちそうしてもらうという感じなのだが
2週間も滞在するとなると、平日は仕事のある母のために
何もないわたしが食事を用意するのが自然であった。

ということは、わたしとしては
ふだんの生活とあまり変わることなく過ごすということ。

でも母にとって、わたしが料理をしていること自体が驚くべき光景だったようだ。
わたしは昔ほんとうに、料理というものに興味を示さなかった、と母は言う。

たしかに好きではなかった、興味がないというか
料理や食事はわたしにとり、苦しみの根源であったのだ。


幼い頃は、すでに亡くなった祖父母も、この家に一緒に住んでいた。
母は働いていたので、晩ごはんを作るのは祖母であった。
そして、母がいつも洗い物をしていたと記憶している。

祖母の料理はもちろん美味しかった、食卓は楽しい気がしていた、でも
美味しいと言わなければいけない雰囲気
自分の食欲を超えて食べないといけない空気
そういうものを感じていた……と今になっては思う。

そして、それらは作り手の祖母からではなく
母から出される無言のメッセージであった。

きっと母にとって祖母に料理をしてもらっているというのが、不本意なことだったのだと思う。
彼女はそういった意味のことを何度も口にしていた。

母は仕事なんてせずにわたしと一緒に過ごしたかったし、
わたしと一緒にゆっくり料理をしたかったのだろうと思う。
好きな料理ができず、後片付けばかりする日々に、やりきれなさも感じたことだろう。

しかしわたしは、
休日、母が料理できるようなときですらキッチンに寄り付かず
他の家族に相手をしてもらい
一緒にスーパーマーケットに行っても勝手に本のコーナーへ吸い寄せられ、
一緒に食材を見たり選んだりすることはなかった。
料理に興味がない、と映っても仕方のない行動だ。

たしかに、当時は自分でも「興味がない」としか思っていなかった。
けれど今考えればあのころ生活のすべてに染み渡っていた、
本当はずっと家にいてあげたいという母の優しさや
幼いわたしを見てもらっているという、祖父母にたいする母の負い目、
そういったものが当時のわたしにはものすごく堪えたのであり、
それが最も顕著だったのが、家族で囲む夕飯の食卓であった。

そして、わたしは子供の頃は本当に少食で、
とにかく食べれば褒められる、という空気の中で
食べることはイコール頑張ることであって、けっして楽しいことではなかった。

総じて、
食卓につく時間はわたしにとって、完全に義務の時間であった。


今の自分なら、理解できそうなことばかりだけれど
あのころは本当に訳がわからなかった。
じゅうぶんに幸せだと感じているのに
「こんなはずじゃないのに」という空気があり続ける日々、
「本当はもっとしてあげたい」なんてどうでもよくて
今のことに目を向けてほしかった。

そんなことは母もわかっていたことと思う、
わかっていても言ってしまう気持ちもわかるし、そして
今わかることと当時つらかったことは別で、とはいえ
それによって誰かを責める気持ちなどはない。


今回、平日はわたしが主に料理をしたが
休日、母といっしょにキッチンに立つことができた。
近くに住んでいる叔父の家族にごちそうするためだった。
これはわたしにとって新鮮で感動的なできごとだった。

オイルサーディンとエビのカナッペ 
ひとくちトマトファルシ 
マッシュルームのレバーペースト詰め 
ラディッシュの薔薇
きのこのクリームスープ 
カニクリームコロッケがうまくできず急遽つくったグラタン……

いつもより丁寧な料理を母と作ったあの数時間じゅうずっと
「わたしはなにかを克服している」と感じ続けていて
そして、今後もそれを克服したあとの世界が続いてゆくのだ、という予感があった。

実家でごはんを食べるときいつも喉につかえていた重いものが
きっともうなくなってゆくような気がした。
絶対にまた母と一緒に料理したいと思った。

母がずっとわたしに求めていたのはこういう時間だったのかもしれない。
どうして今までできなかったのかな、と思う。
けれど、今できてよかったのだ。

「本当はもっとしてあげたかった」ではなく、今ある幸せに目を向けるのは
本当に、ほんとうに難しいことなんだね。


祖母が死んだ歳に、母が近づいてゆく。
もちろんずっと元気でいてほしいけれど人は必ず死ぬ。
身近な誰かが死んだときに後悔しないことなんて不可能かもしれない、
かならず少しは「あのとき、もっと…」と思ってしまうものだ。

それでもできるだけ後悔したくないから、今できることをたくさんしたい。
その「今できること」の中でも、
考えつく限り最も重要なことを成し遂げることができた。
そんな帰省だった。

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