
お花屋さんになりたい、というひとことを、少女のとき。
一度でも発していたとしたら、わたしの今までと今と今からは違っていましたか。
切り花はたんなる死骸。美しい死骸をあなた方がたいせつに抱えて何度もやってきた一度しかないわたしたちのたくさんの誕生日。
確実に死が近づくことに目を向けて背けるための宴に生贄が活けられるその日、あるように思える価値は死によってもたらされたのかそれともむしろあらゆることは生死と無関係だということなのか、言いたいことはそのどちらでもなくただ美しいから花を贈るのか、わたしはずっと最後。
もしかするとあなた方には言いたいことがあったのかもしれない、でも思想はすべてあなたの手とわたしの手のちょうど境目で切断されるので残るのはいつだって美しさと香りだけなのだ。
薔薇の花には死臭がある、切られてから日を増し萎れと変色が酷くなるごと、生きている薔薇と明らかに違う芳しさがそこらじゅうに充満しわたしには軽々しく近づけないような気がする、わたしは絶対にこんな香りで死ねないのだ。
もしもわたしが、お花屋さんになりたいと言うことに成功した少女であったなら、こういうふうに朽ちてゆくことができたかもしれなかった。絵本で見たような森が立ち現れる。湿った腐葉土や落ち葉の中に、クコの実やイチゴの砂糖漬けを繋いだ鮮やかで可愛らしいジュエリーが落ちている。そこにはかつての少女が確かにある、そして絶対にもういない。そんなワイン。
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