MENU

さようなら2023年、ようこそ2024年

年の瀬の夕暮れ

昨日から婚家でだらだらと過ごしている。今日は遅めのおはようのあと、おせち料理の用意をほんの少しだけ手伝って、甥っ子・姪っ子たちに合わせてつくられたバーモントカレー甘口をお昼に食べたら究極の眠気に襲われて寝落ちし、目覚めたらもう今年が残りわずかになっていた。夕飯にお蕎麦を食べてお風呂に入り、みんなで晩酌タイムまでの時間に思い立ってこれを書いている。

わたしは記憶力がたいそう弱い。来年の今頃、一年間の自分を面白く振り返ろうと思うと、今のうちに2023年の出来事を記録しておかないといけない。もうすでに記憶の谷に落ちて思い出せない出来事もたくさんあると思うが、今思いつく大まかなことだけでも簡単に記録しておこうと思う。

目次

プロジェクトを始める楽しさ、動かしながら味わう悔しさと面白さ

今年は新しいプロジェクトを2つ立ち上げた。その2つの活動の山が同時期に重なっていて本当に大変だったので、よく覚えている。両者とも楽しさと悔しさの両方を与えてくれる取り組みで、そのマーブル模様がわたしの2023年を面白く彩ってくれたと思う。

CRAZY GAL ORCHESTRA

今年始めたプロジェクトの1つめは、「CRAZY GAL ORCHESTRA」(略称「CGO」)の結成。「ヤバいギャルのオーケストラ」という名前で友人たちと立ち上げたこの団体、活動の主眼は、クラシック音楽をこれまでと違う視点で見つめ直す/体験し直すことにある。

最初に焦点をあてたのは、長らく音楽史から無視されてきた(そして近年急速に研究が進みつつある)「女性作曲家」。今年9月に開催した結成記念コンサートでは、おそらくヴィオラ奏者以外にはまだあまり知られていないイギリスの作曲家、レベッカ・クラークの作品のみを取り上げた。

このコンサートでは、演奏会(ライブ)自体を楽しめる仕組みをつくりたくて、演奏者とのチェキ撮影、オリジナルグッズの制作・販売、出版社ブースの設置による関連書籍販売などに取り組んだ。お客様の声を聞く限り、うまくいった部分がたくさんあったし、逆に足りなかった部分、もっと挑戦できそうな部分もたくさん残った。一度で満足とはならなかった、だからこそ良いコンサートだったと思った。

来年1月にはCGOのマガジンを創刊する。特集を「女性とクラシック音楽――これまでとこれから」と銘打って、結成記念コンサートのレポート、出演ギャルによるエッセイ、そして作曲家の山根明季子さんへのインタビュー、などいろいろなコンテンツを盛り込んだ。このマガジンの制作過程でもたくさんの学びがあった。自分には足りない部分がまだあって、それがとてもおもしろい。悔しいと思えることがまだしっかり残っていることに安心する。力不足にいったん絶望し、脱力したあとに、力がわいてくる、その生きている感じ。マガジンは1/14(日)に文学フリマ京都で販売するので、近くの人は買いに来てほしい。

ANONYM

個人事業主時代、小商い的にやっていたコーヒー(+テキスト)の物販を、会社として新たなかたちで始めた。友人とお茶していたとき、なんとなく「コーヒー売るの結構楽しかったからまたいつかやりたいんよね〜」と話したら「絶対やってほしい。今すぐにやりましょう」と言われ、友人の友人であるデザイナーを紹介され、3人での企画会議が設定されて、あれよあれよとブランドが立ち上がった。名前は「ANONYM(アノニム)」、誰でもないわたしやあなた一人ひとりの、誰でもなさ、なんでもなさを祝福するためのブランド。なるべくさりげない日常のアイテムを取り扱いたくて、販売経験のあるコーヒーから制作を始めることにした。

その後、自分たちのコンセプトを理解してコーヒーの形で再現してくれるロースターさんと出会い、売り方のアドバイスをくれるPR・マーケ専門家とも出会い、さまざまな人との関係の中で、構想がモノとなって市場へと旅立っていった。この過程で新たに生まれた人間関係、できるようになったことは宝物で、やってよかったなあと思うし、自信にもなった。その反面、このプロジェクトを立ち上げたことで初めて気づいた自分の弱さもある。

もともと友人および友人の友人は、わたしの書くテキストに価値を見出してくれていて、だからこそ一緒に何かをつくりたいと思ってくれていたらしい。したがって彼女らは、わたしの日本語を前面に押し出したプロダクトにするよう強く言ってくれていた。それなのに、肝心のわたし本人に覚悟が足りなかった。彼女らの言うことが信じられなかった、自分の日本語にそれほどの価値があるとはどうしても思えなかった、思うのが怖かった。だから今思えば、すこし中途半端なかたちでブランド/プロダクトをローンチしてしまったかもしれないと反省している。

思えば自分にはずっと、自分が書いたものに値段をつけることへの、割り切れなさのようなものがあった。そこには「自信のなさ」ももちろんあるけれど、「お金を儲けることへの過度な忌避感」がもっと大きな要因としてあったと思う。自分の大切なものと引き換えに経済的な利益を得ることがとても怖いと、長いあいだ思ってきた。ものを書くという行為が自分にとって大事で、自分のアイデンティティに深く差し込んでいるものだからこそ、恐怖の対象である「お金儲け」から遠いところに置いておきたかった。文章を売るにしても知り合いの知り合いぐらいまでの範囲にしか売る気がなかったし、それによって利益を得ることがないように極めて安い値段しか付けられなかった。

だからこそ書けたこともあるだろう。このブログ自体がそういったことの集積体だ。でも同時に、自分の出力する日本語に対して逃げていた部分もあったのだと思う。こういう自分の脆さに気づくことができ、そのナイーブさも含めて理解してくれる仲間に支えられ、前向きに乗り越えようと思えたのはANONYMのプロジェクトを始めたからだった。それはとても幸いなこと。

そんなわけで、今まで自分の「仕事」のことをほとんど秘密にして、聞かれても適当に誤魔化してきたわたしだけれど、最近少しずつ、自分が何をやってお金を得ているのかを発信できるようになってきた。仕事も自分の一部分だと素直に認めて暮らしはじめると、自然と新しいつながりが増える。創造的な人・もの・場所にどんどん出会える。どうして今までこれをやらなかったんだろう。でも今やることに大きな意味があったのかもしれない。すべての物事をこの順番で経験することに意味があったと、最近思うことが多い。

ANONYMでは2024年、新作のリリースを控えていると同時に、ブランドのあり方も徐々にアップデートしようとしている。テキストコンテンツもがっつり増やす計画がある。周りのいろんな人に手を引かれて、暗い落とし穴の底から青空を見上げるように、わたしはわたしの言葉を声に出そうとし始めている。

開かれたコミュニティ、必然の母体たる偶然の渦へ

ちょうど昨年末に書いた記事を読み返すと、家でサロンコンサート的な身内の発表会ができたらいいなと夢見ていて、その夢は今年、いちおう実現できた。

あわせて読みたい
2022年の振り返り・2023年の目標 気がつけば、2022年もあと少し。今年は自分にとってどんな年だったのか、振り返ってみることにした。 今日の鴨川デルタ。昨日までの冷え込みが少し和らぎ、空も穏やか ...

すると、その夢のおおもとにある、

「なんか心地よくてみんなが創造的になれるコミュニティが自分を取り巻いてくれたらいいな」という自分本意な願い

とか、

ジャンル問わず、才能のある人が才能を発揮しているのを見るのがとても好きなので、自分の近くでそういう機会が発生してくれたら最高という気持ち

は収まるどころか膨らんで、自分の胸の中におさめておくのが難しくなってきた。

さらに前述のとおり、さまざまなプロジェクトを動かす中で、愉快な人々との出会いはどんどん増えて、ああ、この人たちが一堂に会したらどんなことが起きるんだろう、と思うことが増えた。さらには世界にはもっとこういうすごい人たちが存在しているはずで、そういう人々がたまたま出会ってゆるやかに呼応しあう場があったらどんなにいいだろう、などと妄想するようになった。

簡単に言えばわたしは今、閉じたコミュニティから一歩先に進み、あるていど開かれたコミュニティの形成を試みたくなっているのだと思う。2023年、偶然だけど必然のような出会いを自分自身が何度も経験して、それがもっと複雑に絡み合う場をつくりたくなったし、その「渦」の真ん中で翻弄されたくなったのだろう。

この企みを自分の会社のメイン事業のひとつとして現実化できないか、とぼんやり思っていたところ、これまた極めて偶然に、お手伝いしてくれそうな方との出会いがあった。どのようなかたちで実現できるかまだわからないけれど、2024年以降、いっしょうけんめい挑んでみるつもりでいる。このことも、きちんと発信していきたいな。

森へ散歩に出かけるように暮らす

自分は、周りの人にとても恵まれている。友人はみんなそれぞれ魅力的で尊敬できる人ばかりだし、仕事でお付き合いする方々も本当に素敵な人たちばかり。そういう環境の中にいて、わたしには人付き合いの面で「プライベート」「仕事」の垣根があまりないほうだと思う。

そんな大好きな皆様とお茶をしたりご飯を食べたりお酒を楽しんだり、今年は毎日がほんとうに刺激的な心地よさに満ちていた。しかしそういった日々の中で、最も狭義の「プライベート」をないがしろにしてしまった場面もあった。その積み重ねが自分の体力と精神力を奪い、結果的に大切な人々に迷惑をかけてしまうこともあったかもしれないと反省している。

だから来年はしっかり自分の周りに線を引き、いちばん狭いプライベートの輪っかをあらかじめ確保した上で、いつも万全の体制で素晴らしい人たちとの時間を楽しむことにしたい。

ひとり森の中へと出かけ、空高く響く鳥の歌声を反芻し、木々のざわめきの最中を歩き、その先で親しみ深い誰かに出会う日もあれば、出会わない日もある。そんな気ままな散歩のように日々を過ごせたら、もっとうれしいなと思う。

15
  • URLをコピーしました!
目次