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なまえの色は

closeup photo of yellow paper boat

(これは2018年5月に書いた文章の転載です)

オーケストラの本番が一つ終わった。最近は、演奏会のプログラムに載る名前を、旧姓で書いてもらうことにしている。結婚してしばらく、新しい姓を使っていた間に、予想を超えたレベルで混乱と不便が生じたから、今のうちにどちらかに統一してしまおうと思ったのだ。

夫は良き理解者であり、わたしの使いやすい方を使えばいいと言ってくれる。一度新しい姓で出会ってしまった人もいて、その人たちには申し訳ないが、なんとか説明して、旧姓で覚え直してもらおうとしている。

これにより、わたしの日常生活は大幅に穏やかになったように思う。メールや手紙を送るたびに「この人にはどちらの姓で署名すればよかったっけ」と悩むこともなくなった。

中でも意外な効用だったのは、人前で夫を呼ぶ時に戸惑わなくて済むようになったことだ。

というのも、結婚するまでわたしは、夫のことを苗字で呼んでいた。でも結婚して、自分も同じ姓を名乗ることになった途端、これまでの呼称が、他者を呼ぶ言葉として機能しなくなってしまった。

そしてわたしは彼のことを、わたしとの関係性を孕む言葉でしか呼ぶことができなくなった。わたしと彼とが結婚しているという事実が全く関与しない話題の中で、彼を夫、と呼ぶとき、わたしはとても嫌な気持ちがした。急に名前で呼び始めれば良かったのか? それは違うと思った。それはそれで、結婚している/していないの境界が、少なくともわたしと彼との間で、含意されてしまうだろう。

この問題はよく言われる、「〇〇さんの奥さん」と呼ばれることの居心地の悪さ、どころの騒ぎではない。他者がわたしを認識する仕方については、所詮は他者が決めてくれれば良いのだから。それよりもやはり、ただ彼を呼ぶというだけで、自分が彼と結んでいる関係について「どんなときでも」「強制的に」しかも「自ら」告白しなければならない、こちらのほうが、わたしにとってはより大きな負担なのであった。

この負担にゆっくり押しつぶされて、わたしの中にあるわたしだけの秘密基地、そこに密かに取っておいた自分の核のような部分が、少しずつ、侵食されつつあるのをわたしは知っていた。知っていて、避けられる不幸ならば、避けたいと思った。わたしは彼のことを好きなのだし、好きな人と結んだ関係を、嫌いになりたくはなかった。そう思ったときにたまたまわたしに向いていたのは、生まれたときからの姓を名乗ることだった。

はやく、どこでも、みんなが好きな名札を付けられるようになるといい。無駄な葛藤、無駄な疲労がなくなればいい。選択肢のある世界は、色とりどりの世界だと思う。

そのために出来ることは何なのか? 署名をしたり、投票をしたりしても、今すぐに世界は変わらなくて嫌になる。それでもとりあえず、って、自分の日々を自分で変えたら、日々がいくぶん鮮やかに色づいてきた。このカラフルな世界の中で好きな人を、好きになったときからずっと好きだったその名前で呼べることが幸福、ありえないほどの幸福。わたしのはじめからの名前は彼にとって、何色で見えているのか、訊いてみたくなった。

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書いた人

京都在住。創造的なことすべてに興味があります。

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