何もしていないのに疲れ果てている。この前100均でとりあえず買ったスマホケースが意外に良い使い心地で、そのことに酷く落ち込む。たくさんの犠牲の上を歩いている、そのいたたまれなさを、進みすぎた社会に鞭打たれているという設定で誤魔化している。惨めな連帯。
世界のあらゆる悲しみはすべて違う形をしているから、なにひとつ相殺されない。毎日生まれる余剰と不足の波が、揺れるバスの足元にひたひたと押し寄せてくる。幼い頃、学校のパソコンで、Google Earth を開いてみた日のことを思い出す。自分はこんなにも取るに足りない点にすぎないのだ、と、教えてくれるアニメーション。あまりにも大きな全体、あまりにもやわらかな。
平日、夜、信号待ち、バス車内はしんとしている。窓の向こうに見える、街角のタバコ屋さんをぼうっと眺める。店の裏側に続くドアが開けっ放しになっていて、そこにかかった白いのれんが夜風に揺れている。人はみんな死ぬのだと思った。
ここ数日、自分がやりたいことや自分にできることが、巡り巡って誰かのためになるような気がしていた。でも、そんな気持ちは幻想に過ぎず、本当はなにもかも、あののれんを揺らす夜風に及ばないのだ。
手触りのない言葉を、もう一言だって発したくないのに。いったい何のために、こんな毎日を繰り返しているのだろうか。バスから降りるとき、地面から砂が舞う光景を見たくなった、そうすれば安心できると思った。けれども道路はきれいに舗装されていて、踏みにじる/踏みにじられることすら、今のわたしにはできない。
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