南座に歌舞伎を見に行ってきた。
歌舞伎に行くのは、生涯で二度目。
前回は何年前のことだろう? 母に連れて行ってもらった。
たぶんまだ古語もよくわかっていない頃で、ストーリーを掴むのがとても難しかった記憶がある。
今回は詳しい友人が、歌舞伎初心者でも楽しめる演目を選んで誘ってくれた。
彼女は和装が本当に似合うひとだ。
事前に相談して、ふたりとも大島紬で行った。
待ち合わせ場所で出会った瞬間に、綺麗、という一言が口から零れた。
美しいことはすごいことなのだ、
今回、わたしたちが観劇したのは
「坂東玉三郎特別公演」
南座改修後の新開場記念公演としておこなわれているようだ。
演目は
・壇浦兜軍記 阿古屋
・太刀盗人
・傾城雪吉原
の3つ。
今回の公演は非常に売れ行きがよくて、すぐに全席完売になってしまったと聞いた。
一番良い席は一般販売のときには既にほぼなかったとか。
そんな中、友人は花道がちゃんと見えて、舞台もほとんど見える、本当に良い席を用意してくれていた。
オペラハウスでも思うことだけれど、
劇場というのはコンサートホールと違い、舞台を見ることに明らかに支障がありそうな席というのがたくさん存在する。
今回、わたしたちが座った席からでも、見えない部分がある。
そのことがわたしはなぜかとても好きだ。
安心する、というのか……
よくわからないのだけれど、平等でないこと、クリーンでないことへの安堵みたいなもの、
または、その席の対価としてふさわしいだけのお金を払っていることをありありと感じられるようなのが好きなのかなあ。
それに加えて歌舞伎の席というのは左右対称じゃなくて、さらに複雑で面白いなあと思った。
さて、観劇そのものは、
予想していた何倍も楽しかった!
前回とは違い、話の内容がほぼわかるようになっていたというのもあるが、
友人がこの演目に誘ってくれたことも大きい。
特に、1つめの「壇浦兜軍記 阿古屋」では、阿古屋を演じる女方が、舞台上で実際に琴・三味線・胡弓を演奏し、心情も表現する。
そして傾城の役であるから衣装がとても豪華絢爛。本当に夢のようだった。
音楽と着物が好きなら、きっと楽しんでもらえるはず――という友人の言葉はほんとうで、
坂東玉三郎演じる阿古屋に、肉眼で・双眼鏡越しにずっとずっと見入っていた。
美しいことは本当にすごい、
美しいということだけをもっと単純に讃えたい。
泣きたいくらいそう思わせてくれるような女方であった。
自分は生まれつき女体を持って生まれていて、心もそれに沿っている。
そのことじたいの美しさが絶対にあるはずだと思った。
それは外部から決められる美醜とはまったく無関係な空間にある美しさだ、
絶対的な美しさなのだ。
気づけば、1時間15分が終わっていた。
一瞬だったし、永遠のようだった。
この、時間の感覚、
オペラを観ているのとは全く違った。
「決して躍動することなく(「律動」ないままに?)飴が伸び縮みするように気分が湧き上がったり鎮まったりする」あの感じはなんなんだろうね!?
以前『日本人とリズム感』で読んだことを思い起こしていた。
準備のない一拍目。
田植え民族のリズム……なのかな?
伸び縮みする時間とそれに練り込まれて盛り上がってくような感情の波、
それは明らかに「非日常」だったから、
自分は普段、意外と西洋的な時間を生きているのかもしれないな、と思った。
この、艶と粘りのあるのっぺりした時間に包まれることが、わたしにとってかなり爽快な体験で、
ここ最近神経質に気にかけていたいろいろなことがどうでもよくなったというか、実は気にしなくて良いのかもしれないなあと思えるようになったのだった。
そんな感じで、人生2度目の歌舞伎観劇はたいへんすっきりした気持ちとともに終えることができた。
最高の週末!
こんな素敵な時間と気持ちをくれた友人には感謝してもしきれない。
また、一緒に観劇したいな。
本当にありがとう♡