NUMBER GIRL

https://rockinon.com/news/detail/183984

この曲すき

明日のことを考える人が嫌いで、100億年先のことを考える人が好きだ。昨日のことを懐かしむ人が好きだし、昨日を飴みたいに引っ張る人が大嫌いだ。


ナンバーガールが復活して、復活とは何かということを考えている。


現実にようやくできた切れ目! 脈々と続いている、ときみたちがいう時間、今日はそこに唐突にハサミが入れられて裂け目ができたのだ! これがわたしのいう時間、ありありとした時間! 断崖絶壁、「居心地の悪さ」、それを笑って飛び越えてくれる人をわたしはいつも探している。ついに、ついにそのとき、の来る可能性が開かれる。


谷底を覗き込めるその空間には目盛りがない、何メートル飛べばよいのかわからない、だから世界で次に現れるわたしの地上はわたしの目分量によるもの、そしてあなたの地上はあなたのもの。いつだってそのはず、今だって本当はそのはずなのに。


無限に生産される「次の機会」、わたしのそれとあなたのそれとの偶然の一致、または一致するあなたをいつも待っている。わたし自身への回帰は、わたしひとりではできやしない……。


前世からいっしょだった? という問いを馬鹿にしてはならない! 悲観すべき人生の中で連続性のなさだけが連続性を担保してゆくのだ。

避けられない運命としての連続性はいつか訪れる終焉を知っているかのように重たく、しかし、自ら断ち切ってまた始まるような決めごととしての連続性は、運命から出発するやいなや軽やかに危うく飛翔する。それらの間に生まれる高さ=距離こそが芸術なのではないか? それは常に自分自身への回帰の必要性、隠された欲求、あるいは不可能性を自覚させるものとして働く、2本の線だ。


そんな気持ちでナンバーガールを聴いている、ベースがずうっと伸びてゆくのを、旋回する、ギターのオスティナート、を聴いている。


通奏される低音、またはフレーズを思い、頭の中で彫刻されたそれらに触れる。どんなに深い裂け目が入ろうとそこには何らかの固体の手触りがある。基礎的なもの、核、基盤があり、その素材に裂け目が入る。それは完全な断絶ではない。だからこそ断絶に見えているのか? それとも、裂け目ができてはじめて通奏的な何かがつくられてゆくのか? そういうことを考える。


はあ。ライジングサン行きたいなあ。

COMMENT

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください