DSCH

大学時代の中のどこかで、ショスタコーヴィチの10番をやたら聴いていた時期があった気がするのだけれど、それがいつなのか、そして何をきっかけとしてあんなに毎日レ♭ミドシだったのか、何も思い出せない。

ただ、昨日インバル・大フィルの演奏を聴いて思ったのは、これは確実に名曲なんだなあということ。あんなに毎日聴いてた時には偉大な作品だとは一度も思わなかったのだということが、昨日判明した。でもやっぱり最後の最後、自分の名前をティンパニの4つの音に振り分けるっていうのはどう考えても面白いというかすごいというか、どういう心情だったのかなあと思ってしまう。ロシアらへんのことをもう少し勉強したくなった。

コンサートが終わったあと、ショスタコーヴィチの作品に現れる二面性というか突然の切り替えについて話していて、でもそういうのってマーラーとかシューマンとか他の人の曲にもあるやん、っていう話になって、『シネマ』のどこかで(たぶんグレーについて語ってるところ)「黒と白からの弁証法的統一(エイゼンシュテイン)」と「光と闇の戦いの帰結(表現主義)」っていう二つの対比があったのを思い出して、ショスタコーヴィチはまあやっぱり前者やなあと思ったりした。

最近は楽しい仲間たちとの室内楽の演奏機会に恵まれていて、もうオケはやらなくてもいいかも、「社会」的要素がもうめんどくさいし……と思っていたものの、昨日の演奏を聴いたらあの中に入って演奏したいという強い欲求が湧いてきた。でもショスタコーヴィチ10番に乗れる機会なんて生きてるうちには来ない確率の方が高そうやなと思ったら、なんか、なんなんやろう人生、みたいな気持ちになってしまったんですけどね。

まあそういうことも、家に帰って、ふるさと納税のイクラを好きなだけ食べて、日本酒をおちょこに1杯飲んだら、もうどうでもよくなってしまった。

いろんな質感の混ざりあう渦に飲み込まれて、すごい速度で旅をしながらも身動きひとつできないような金曜の夜だった。よい過ごし方だったといえるかもしれない。

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