140字で呟ける素朴な日常などもうどこにも残っていないような朝にぼくはいる。
空から降ってくる青みの混ざった光があとほんのちょっとのところで届かず窒息してしまいそうで窓を開ければ、近くに遠くに走ってくる・走ってゆく車の音がごうごうと響き合って、何かを考えるための余白がなくなってしまった。
自分を大切にするために淹れたはずの珈琲は冷めきって舌の上でナイフになり、なんだかぞっとして関節が震えるような気がする。
鳥肌を立てながら、昨日おとといあたりに自分を生かしてゆくために殺した命の数を数えてみても何も感じることはない。
轟音の切れ目に聴こえるバロック音楽なら、そんな無感覚でも良いと言ってくれるのだろうか? 何に対しても意見を持たない・意見を持ったとしても表明などしない、そうしていられることじたいが贅沢品で、これから先、どのように自らの思想を愛することができるだろう。
今はもう、残っている分の珈琲だってレンジでチンできるという。香りは飛ぶかもしれない。けれども外から吹き込んでくる直線状の音のせいで、もう香りなんかわからなくなるくらいに寒いのだ。
最後にもう一度、と窓を閉めると途端に響き出すト短調は不思議にぼくを不愉快にさせない、今度聴いているのはただの残滓だからだ、
劇的だけど自分には関係ない、いや、ちゃんと関係があるのかもしれない、本当のところはわからない、それくらいの触り心地で、反響してくる余韻のところだけをシャワーのように浴びるための音楽。
「この時代に生きていたらよかったのだろうか?」それは結局どういうことなの? 何が言いたいの? そんなことはわからない、本当のところ、というのは誰にだってわからない、わかることなんか何も要らない。そんな朝にいる。
0