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わたしが眠るときの話

どこかに逃亡したいと思うのだけれど、どこから、そして何から逃げたいのかは全然わかっていないので、どこに向かって走ればよいのかわからず、二歩や三歩どちらかに歩いてみたとしても、ずっとずっとまとわりついてくる何かの影に、途方に暮れ、絶望し、体力を奪われ、結果としていつも自らの中心へ倒れ込んでしまう。


寒いときも、暑いときも、わたしは内側に縮まり込んでしか眠れない。


布団から顔を出して目をつむっていると、何かが覗き込んでくる。
背中側に少しでも空間があると、何かがぴっとり寄り添うように忍び込んでくる。


暗闇は毎夜よそよそしく、自分の皮膚や毛髪がそれとの境界線になることが怖い。
大好きな縫いぐるみのことも、布団の外に出すことができない。
ただの怖がりなのかもしれない、でも。


どうか、わたしの身体に蓋をしてください。
「何か」ではないもの、既知のものに触れていたいと強く思う。


しかしいったい、既知のものとはなんだ?
自分自身ではなく、しかし親しみのあるものだろうか?
そんなものはこの世界に存在するのだろうか。


おそらくわたしは決定的に、ずれている。
自分というものの輪郭が、眼鏡を外した世界のように、何重にもぼやけるようにずれている。


皮膚の内側にさえ他者が満ちみちており、だからずっと何者かがまとわりついてくるのだろう。
本当に、どこにも逃げる場所がない。
そして、世界の何と接してもそれは他者で、そして同時にわたし自身である気がする。
この感覚がなくならない限り、「既知のもの」が存在することはできないのではないか。


あなたにとっても、あなたの手は既知ではないでしょう?


世界は自分の手のようなもので埋め尽くされ、それはわたしの体内にもめり込んでくる。
「そうでなかったときはあるのか?」と問う声がする。
確かにあったような気がするのだ。でも忘れてしまった。


縫いぐるみを背中にくっつける。
次第に、縫いぐるみまでが自分になる。
布団で自分をぐるぐる巻きにする。
次第に、布団までが自分になる。
壁と背中を密着させる。
壁までが自分になってしまったら、次はどうすれば良い?
もしも人間をくっつけたら、いったいどうなってしまうのだろう。


毎日、眠るのが怖い。
昨日も怖かった。一昨日も。
毎晩大量にお酒や薬を飲んで酩酊し、知らぬ間に眠りに落ちればきっと解決する。
けれどもそれは望まれていない。
では、何が望まれているというのだろう?


何もわからないまま、少しずつ真ん中へと縮まってゆく。
あらゆる場所に舞う糸くず、あれはわたしであるけれどわたしではない。
だんだんと、何本かが固まってフェルトボールみたいになる。
そうなると、もう浮かぶことはできない。


幼い頃は、窓からの光にきらきらする糸くずを見るのが好きだった。
温かい陽光に包まれて、まるで自分も宙に舞っているような心地だった。
あれは、わたしもまだそちらに近かったからこそ、得られた感覚なのだろうか。
もう体験することのない浮遊感なのだろうか。
どうすれば、糸くずに戻れるのだろう。
そんなことばかり考えている。

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