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9記事目にしてblog titleを変える

frei aber einsam、とか格好つけたことを言っていて、それはその時の本心だったし今でもとても好きなフレーズではあるけれど、もっと格好つけていこうと思った。

せっかくドメインも取ったしドメイン名そのままで、自分をもっと売り込んでいこうかなと思った。

「seramayo.com」

一晩眠って明日になったら後悔してるかもしれないけどまあ別にいいよね。

ファビコンもマヨネーズにしたよ……!


前に同じハンドルネームで(というか本名で)作っていたブログが2年前くらいに炎上したのを知っている人も多いと思う。

あのときブログごと削除して以来、正直言ってエゴサするのがほんとうに死ぬほど恐ろしい時期が続いた。

エゴサだけじゃなくて何かを表明することすべてに恐怖感がつきまとって、インターネット上だけではなくリアルにも当たり障りのないことしか言えなくなって、生きることがどんどんつまらなくなっていた。


でも、先日なぜか久しぶりにTwitterでこういう感情になって↓

そして今日はけっこう好きなように生きてそうな高校の友人(とは言っても高校時代は全く喋ったこともなく、今日が実質的な初対面だった……)と話して、

そう言えばそうだった、わたしはもう既に余生を生きているというか、生きているはずのない時間を生きている、というか、何なら一度死んだ気分で生きてるんだったし、他人に好かれようと嫌われようともっと好きなことしていいんだったなーって思い出したのだ。


わたしはずっと本名でインターネット活動をしていて、わたし世代の人からはそのことを危険視されたり心配されたりするけれど、自分自身の中にはなぜか恐怖心が全くない。

炎上したときでさえ、本名でブログやってたことについては別に後悔しなかった。

自分の名前や、自分自身をあまり大切にできていないのかな?

だけど自分の名前は面白い響きだし、由来も好きだし、他人からも覚えてもらいやすく、そういう意味での愛着はある。

でも一番の理由は他にあって、わたしにとってブログは「愛着形成の場」なのだと思う。ここにすべてを告白することで、安心して外に出て行けるという感覚がある。

名前も含めて自分のすべてを投げ出し、委ねても許される場所なのだ。つまり幼い子どもにとっての親のような居場所。

2年前のあのとき、そんな居場所が土足で踏み荒らされた。とてもしんどいことだった。生まれ育った家に侵入され、あらゆるものを盗まれて破壊され、親を殺された気分であった。ブログを削除するのは、つらい記憶を忘れるために家を手放すようなものだった。

――と、今になっては思う。

だから、こんなブログタイトルを付けられるようになったのは、わたしにとっての「喪の作業」が終了したという証であると思う。

目出度いですね。


2019年はもっと刺激的な年にしたいなあ。もっと好きなことをしたい。

何人かの人には言っているのだけれど、わたしは将来、お店的な/ワークスペース的な/私設図書館的な何かを開きたいと思っている。

みんなが何かしらを創造できる場所を用意したい。絵を買いたり、勉強したり、編み物したり、仕事したり、本を読んだり……

「あらゆる人の、あらゆる世界の創造に立ち会いたい」と強く思う。

開業費用の目処が今まったく立たなくて、とは言え何かしら夢に近づいて行かなければならない。

Wine Expertの資格を取ったのも実はその一環で、お酒を飲みながら作業できるような場にしたいので、とりあえずワインを勉強してみたのだ。

今年の後半は、お酒に合いそうな、スパイシーなお菓子を少し作ってみたりもした。でもまだまだマリアージュに遠く及ばない。

これに関してはもしかすると、お酒の方の知識が足りていないのかもしれない。ウイスキーは好きだけど、ブランデーに関してはまったくの無知だし。

来年はどうしようかな。

・珈琲を勉強する
・引き続きお菓子作りをする
・蒸留酒を勉強する
・ワインリストを作ってみる
・カップ/ソーサーを集めはじめる
・どこかで1日出店をする

こんな感じかなあ。

もちろん、素敵なお店を知って体験することも大切だと思っているので、おすすめの喫茶店やBarをご存知の方、ぜひデートにお誘いください。


楽しい年になりますように。

今年も生きるのがつらい日ばかり訪れたし、来年もきっとそうなのだろうけれど、そんなときは自分がすでに一度死んでいるって思い込んで、気楽に暮らすことができますように。

そして、自分の夢に向かって精一杯がんばれますように――これは幼い頃、母に教えてもらった祈り方。今もずっとそうやって祈っている。きっと初詣でも同じように祈る。


祈るって何回も書いていたら「愛は祈りだ。僕は祈る。」っていう書き出しを急に思い出した。舞城王太郎って天才ですね……

今思えばあの本を手に取ったとき、自分の中のギアが回りはじめた。グロい話を読むことを親には心配・反対されたけれど、高校時代の家庭科の先生が舞城王太郎で書いた読書感想文を褒めてくれて、そのことがわたしにとってすごく大きな生きる糧となった。

来年は読書の習慣も復活させよう。

人は自分の中にある文体でしか思考ができない。言葉遣いというのは思った以上に重要だと考えている。だから高輪ゲートウェイとか、一億総活躍社会とかの最近のダサすぎる言葉遣いを、わたしはとても憂慮している。

飲み込まれたくない。自分の言葉で生きたい――そのためにはできるだけ多く自分以外の言葉を味わい、咀嚼し、飲み込まなくてはいけないのだろう、逆説的なようだけれど。


なんだか来年の抱負をたくさん書くことになった。

年内にあと1記事くらいは更新できればいいですが、もしできなかったときのために……皆様、どうぞ良いお年をお過ごしくださいね。


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書いた人

京都在住。創造的なことすべてに興味があります。

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