「復興支援コンサート」というものを、わたしはずっと昔から、あまり信用していなかった。
演奏をして、お金を集めて送るとしても、それが本当に一番良いやり方であるとはどうしても思えなかった。
それに、復興支援のための演奏会であっても、当日舞台の上で感じることはいつもと同じ。
本番はいつもどおり、ふつうに楽しい。
そんなことでいいのか?
この演奏会で舞台に乗るために払った参加費を、そのまま寄付するほうがいいんじゃないか?
頭の中のもうひとりの自分にそんなことを言われて、言い返すことができなかった。
だからこれまで、復興支援と名のついたコンサートに出演することがあっても、そのことをあまり宣伝してこなかった。
2018年、春。
ひょんなことから、所属オーケストラの復興支援コンサートの運営委員会に加わることになってしまった。
しかも、海外での公演。オケとして初めて。
あの有名なスメタナホールをおさえてある。
気鋭の作曲家に新作を委嘱し、それを引っさげてゆく。
現地のプロとも共演する。
――もちろんお金がかかりすぎて、寄付がないと成り立たない。
大丈夫なのか? と心配になる企画。
なぜ、運営に携わることにしたのか?
頼まれて、断れなかった。本当に、それ以外に理由はなかった。
その日以来、わたしの中で自分との闘いが始まった。
なぜ、「復興支援コンサート」というものをやるのか?
それも海外で。
本当に必要なのか?
まず自分に説明できるようにならなければいけなかった。
すべてが困難であった。
復興支援と言っているけれども、本当はただ海外で演奏したいだけなんじゃないのだろうか。
その欲求を叶えるために、復興支援という言葉を濫用しているのではないか。
運営の仕事をするたびに自分が嘘つきのように思えて、苦しい。
でも、引き受けた以上、やり遂げなくては……
相反する2つの感情に、板挟みになっていた。
ある日の委員会で、寄付の集め方を話し合っていたときに、クラウドファンディングを提案した。
そのときのわたしは「何もお返しできない普通の寄付を募るよりはマシだ」という程度の気持ちだった。
支援に対してリターンを渡すことで、少しでも自分の罪悪感を減らそうと思ったのだろう。
提案は採用され、わたしは、クラウドファンディングに関する仕事の大半を引き受けることになった。
薄々気づいていたことだが、クラウドファンディングのプロジェクトページには、「なぜこのプロジェクトをやるのか」をちゃんと書かなければいけない。
ああ、ついに向き合うときが来たんだなあ。
徹底的に嘘つきになるか、心からこの企画を成功させたいという気持ちになるか、それが決まるときが来たんだ。
そんなことを思いながら、プロジェクトページの用意をした。
クラウドファンディングを成功させるためのアドバイスは、インターネットに有り余るほどある。
その中で高頻度に説かれる「トップ動画の重要性」。
動画なんて、結婚式のプロフィールムービーしか作ったことがない。
でもとりあえず、作らなきゃ。
指揮や作曲やソロの先生たちにインタビューして、格好良いこと言ってもらおうか。
一緒に運営の仕事をしている夫は、幸いにもカメラが趣味だし、一眼で撮ったらちょっといい感じの映像になるかもしれない。
その提案もすんなり受け入れられ、
気づけば、梅田のドルチェ楽器の最上階が予約されていた。
なんだか、思った以上に本格的な場所でやることになったな……と思った。
夫に撮影について相談し、うちに2台あるカメラと、ほかの委員の方にお借りしたビデオとで3つの角度から撮ることになった。
そして、このために三脚を買おうと言う。
休日、カフェで構図やシナリオを話し合った。こんなに真剣に話をしたのは久しぶりだった。
なんかこの人、わたしよりやる気あるっぽいな……と思った。
撮影当日、先生方はお会いした瞬間から本当に協力的だった。
こんな、一銭にもならない撮影を了承して、予定を合わせてくださるだけで有り難いと思っていたのに、
「こんなリターンも提供できるよ」「じゃあ、私はこんなリターンを」
インタビュー撮影の前の、クラウドファンディングに関する説明の段階で、そんな会話が次々と展開されたのを聞いてなんだか卒倒しそうであった。
結果、リターンの数が当初の2倍ほどに増えることとなった。
なぜ?
なぜそんなに、復興支援コンサートの名の下で、頑張ることができるの?
わたしが幼少期からずっと抱いてきて、
インタビューの撮影前にピークに達したその疑問は……
直後のインタビューで、あっけなく解けた。
先生方に質問し、返ってくる答えを聴いていて、
わたしはこれまで「復興」の意味を取り違えていたのだと痛感し、心から恥じ入った。
綺麗事にならずにうまく伝えられるかわからないが、わたしがこのとき気づいたのは以下の二点である。
まず第一に、復興というのは、お金だけでできるものではないのだということ。
そして第二に、被災地だけではなくて、我々のほうが復興されているのだということ――
我々が支援する復興には、もちろん、被災地での物理的な環境の回復という側面もある。
けれども、それがメインではないのかもしれないな、と思ったのだ。
人間の感情の回復、あるいは、再発見という方が近いのかもしれないが、
おそらくそれこそが復興の本質的な部分であり、
悲しみ、怒り、絶望、虚しさ、恐怖、畏敬、祈り、希望、喜び、楽しみ……といった、人間の抱くことができる限りのあらゆる感情のグラデーションが、あらゆる立場の人間の中に再現され、反射し合う、
それこそが復興、あるいは復興支援という行為なのではないだろうか――
この日以来、わたしは少しずつでもいいから、復興支援コンサートの運営に関わっているということを発信していこうと決めた。
コンサートを成功させるために、できることはなんでもやろうと思えるようになった。
もし嘘つきに見えても、綺麗事だと思われても、もうそれはどうでもいい。
だってもうわたしの中でわたしは嘘つきではなく、復興支援という言葉は綺麗事ではないのだから。
それは本当に、ものすごく重要なことなのだ。
だから、この場でも宣伝させてください。
わたしの所属する京都新祝祭管弦楽団が、CAMPFIREにて上掲のプロジェクトを立ち上げています。
このオケは、一般の大学生、音大生、アマチュア奏者、一線で活躍するプロ奏者といった、いろんな立場の人間で構成されています。
今回ソリストでお呼びするトランペットの北村源三先生はすでに80歳を越えておられる。それを考えれば、立場だけでなく年齢的にも本当に幅広く……
つまり、様々な文脈を持って生きる人間たちが集まって、今回の海外公演に挑むのです。
心から、成功させたいと思っています。
日本の外でやることに、意味があると思っています。
文化や言葉の違う人たちの持つ感情のグラデーションの中に、自分の知らない色があるのかどうか?
この目で、この耳で、確かめたい。
まだ企画段階だというのに、すでに、わたしの内部が少し復興されつつあるように思います。
この、静かな復興を、できるだけ多くの人と味わいたい。
たくさんの人が、この企画に関わってくれたらと思う。
今回、復興支援のための新曲を十河陽一先生に委嘱しています。
わたしは、その作品でOboe 1stを吹かせていただく予定です。
この新曲の世界初演は、プラハ公演に先立って、京都にて来年2/10におこなわれますが、こちらの招待券もリターンの中に用意しています。
プラハで、また京都公演でも配布する特別なプログラム冊子――これは夫が作ることになったのですが、ここにお名前を載せるというリターンもあったり、
他にも、動画撮影のときに先生方が提案してくださった数々のリターン――
出張演奏や演奏指導、自筆譜の一部のコピーやオリジナル曲の作曲、そしてオケをバックにしたコンチェルトの本番など、いろいろと準備しています。
このブログを読んでくださっているあなたが、今回のプロジェクトに関わってくれて、あなただけが持つ色彩をほんの少し、一滴だけでも私たちの感情のスペクトルに加えてくださったら、私は本当に嬉しい。
どうか、ご支援をよろしくお願いします。
https://camp-fire.jp/projects/view/107384
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