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2022/07/12

日常にふさわしい平穏な気持ちと、もう何も信じられないという激烈な気持ちが交互にやってきて忙しい。毎日のように極と極のあいだで揺れ動き、ほんとうの身の置き場がどこだかわからない。

そんなふうに、物がぼやけて二重に見える目のままで読み終えたサラ・コフマン『オルドネル通り、ラバ通り』。

これに比べて自分の引き裂かれ方は大したことない、と思ったあとに、そもそも引き裂かれるほどしっかりとした自分もない、そんな気がしてくる。べつに悲しくはなく、そういった生き物だというだけ。わたしの精神は少なくとも、この本に感じられるような繊維質の物体ではない、と思う。

ところで、人と話していると、自分が使っている言葉というものが、非常におそろしい殺人兵器のように感じられることがたまにある。どのようなときにも、安全に通じる言葉なんてほんとうにわずかしかなく、いま自分のひとことで相手はかんたんにバラバラになってしまうかも、その逆もあり得る、などと思うととても怖い。また、かんがえた言葉が脳内で乱反射して、自分自身がこわれてしまうことだってあるでしょう。

そんなこと微塵も考えていないふりをして事務的な会話を続けていると、ただでさえ疲れている今日なんかには、自分のからだから空気が抜けてぺしゃんこになってしまうね。それでもまた、誰かと話したいと思うときがくるのだろう。または、ちがったふうに話せるかもしれないと期待するときが。自分勝手だなあ。

そんなわけで今日は、なにも言わずに儚く優しく包んでくれるような香りが必要で、そういうお香を焚いたし、入浴剤もそういう香りのものを選んだ。あとはこんな気持ちに合う香水があれば寝香水にでもするのだけれど、それは持っていないので、できないまま眠る。

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京都在住。創造的なことすべてに興味があります。

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