アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」シリーズでは、クラシック音楽が非常に印象的なかたちで使われています。そこで、エヴァの各シーンでなぜそのクラシック曲が使われているのか、なぜその選曲がハマっているのかを考える企画を始めました。
企画の趣旨を詳しく知りたい方は、こちらをお読みください↓

さて、第一回となる今回は、L.v.ベートーヴェンの交響曲第9番第4楽章を取り上げます(この曲から始めるのは、筆者にとって印象が最も強かったからです)。
1曲1記事にまとめようと思っていたのですが、「第九」に関しては思ったより長くなってしまったため、前後編に分けることにします。今回は前編です。
では、さっそく参りましょう。
まずは聴いてみよう
ベートーヴェン交響曲第9番の音源を用意しました(第4楽章から再生されます)。この演奏は、エヴァで使われているよりもテンポが遅いかもしれません。
まずはこの音源を聴きながら、楽曲の基本データを確認していきましょう。
曲名 | 交響曲第9番 ニ短調 作品125 |
作曲者 | ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン |
成立時期 | 1824年完成 1824年5月8日初演(於ヴィーン) |
形式 | 合唱付き交響曲(全4楽章) |
ベートーヴェンの交響曲第9番は、全4楽章から成ります。一番有名な「合唱」の付いた部分はそのうちの第4楽章で、エヴァでも第4楽章のみが使用されています。
ベートーヴェンの交響曲のうち、合唱が入っているのはこの第9番だけ。当時、交響曲というジャンルにおいて、楽器と同じレベルで「合唱」のパートを加えるというのは、非常に新しい試みでした。その後、ベルリオーズ、メンデルスゾーン、リスト、マーラーなど、多くの作曲家が「第九」のあとに続き、合唱を器楽曲に取り入れています。
ちなみにこの第9交響曲が、ベートーヴェンにとって最後の交響曲となりました。交響曲第10番の計画もあったようですが、断片的なスケッチが残されているのみです。このことから、ベートーヴェン以後のクラシック作曲家のあいだでは「交響曲第9番を書いたら死ぬ」というジンクスがささやかれていたそうです1。
エヴァでの使われ方
では、エヴァ作中での「第九」の使われ方を見ていきます。
どこで使われているのか
エヴァシリーズのなかでベートーヴェンの第九は、「TVシリーズ第24話」と「新劇場版:Q」の2作(2話?)で、計3回にわたって使用されています。それぞれにおいて「第九」が使われたシーンと、使われた楽曲の部分をまとめると、以下の表のとおりになりました。
使用話 | 使用シーン | 楽曲の使用部分 | |
A | TVシリーズ第24話 「最後のシ者」 | カヲル初登場シーン (カヲルが鼻歌で歌う) | 第4楽章の主要主題前半 |
B | TVシリーズ第24話 「最後のシ者」 | シンジがカヲルと話すシーン (シンジがカセットプレイヤーで聴いている) | 第4楽章の主要主題の確保部分 |
C | TVシリーズ第24話 「最後のシ者」 | カヲルがセントラルドグマに侵入するところから シンジがカヲルを握りつぶす瞬間まで (つまりサードインパクトが起こり得たシーン) | 164〜330小節 →無音を挟んで →543〜633小節の1拍目まで |
D | 新劇場版:Q | フォース・インパクトの儀式が始まるシーンから ヴンダーが攻撃を受けるまで | 237〜330小節 |
ひとまずこの概観から、エヴァにおいて「第九」という曲は「インパクト」の象徴になっている、ということは言えそうです。そしてカヲルくんが主要主題を歌いながら登場し、その後シンジとカヲルが接触するシーンでも同じ主題を使った部分が使われているということは、この主題がカヲルくんのテーマとして使われている可能性があります。
こんなこと、ファンには常識かもしれませんが……でも、それをきちんと分析してみたいと思います。上記のシーンそれぞれについて、もうすこし詳しく見ていきましょう。
歓喜の主題を「渚カヲルの主題」と見る
まず、ベートーヴェン第9交響曲の第4楽章における主要主題(以下「歓喜の主題」)がカヲルくんのテーマとして使われている可能性について、検討を進めます。
主題の提示(カヲルの鼻歌)とその確保(シンジのカセットプレイヤー)
シーンAは、「友達が誰もいなくなってしまった」と嘆くシンジの前に、渚カヲルというキャラクターが初めて登場する場面です。ここでは、渚カヲルの鼻歌というかたちで「歓喜の主題」が取り入れられています。最初に登場するときのBGMが、その人を象徴するものになることは大いに考えられます。
次にシーンB。カセットプレイヤーで音楽を聴いているシンジのもとにカヲルが現れ、シャワーに誘う場面。このときシンジが外したイヤホンから、第九の音が漏れています。
このとき流れているのは、【譜例1】に掲載した楽譜の赤い括弧以降の部分だと思います。

ここは、歓喜の主題が「確保」される部分。確保とは、一度提示した主題を念押しするように繰り返すこと、またはその部分です。
アニメのストーリー展開としても、シーンAで提示された渚カヲルという主題が、シーンBで確保されていると考えられます。少なくともシーンBは、ストーリー展開の面でも、交響曲第9番という原曲の構造の面でも、「主題の確保」の性格を持っていることがわかりました。
いっぽうのシーンAは、ストーリー展開の面でいえば「主題の提示」であることは間違いなさそうです。では、楽曲構造の面ではどうでしょうか? それを考えるために、カヲルの鼻歌の「元ネタ」がどこなのかを検討します。
カヲルの鼻歌の元ネタを探る
主題は曲のなかに何度も出てくるものですから、カヲルくんの鼻歌について「絶対に楽譜のこの部分が使われている」と元ネタを特定することはできません。けれども、使われ方のニュアンスから候補を絞り込むことはできます。いったいどこが、カヲルくんの鼻歌の元になったのでしょうか。
今回、大きなヒントとなるのは、カヲルが一人で歌う鼻歌であるということ、つまりハモリや伴奏がありません。そして、やさしい歌声で静かに歌われているという印象もあります。
このニュアンスにあてはまりそうな場所を探すと、【譜例2】の赤い四角の箇所が見つかりました。

【譜例2】の赤い四角の箇所には、以下のような特徴があります。
- ユニゾンでハモリ不在、伴奏もない
- 「低弦が」「スラー付きで」「弱奏する」感じが、カヲルくんの鼻歌に似ている
これらのことから、カヲルくんの鼻歌は赤い四角の部分ではないかと推測しました。
楽曲の構造から見れば、【譜例2】はまさに、この楽章のなかで歓喜の主題が初登場する「提示」の部分です。そしてこのすぐあとに【譜例1】、つまりシンジがカセットプレイヤーで聴いていた部分が登場します。主題が提示される前の紆余曲折が、カヲルに出会う前のシンジの状況と重なる気もしてきます。
もしカヲルくんの鼻歌が【譜例2】から取られていたら、劇中音楽の原曲の構造とストーリーの構造にパラレルな関係があるといえそうです2。
さて、カヲルくんの鼻歌を「主題の提示」とする仮説を補強するためには、その後の主題の展開を見ていく必要があるでしょう。ということで、同じTVシリーズ第24話のなかで第九がメインで使われる、Bのシーンを見ていきます。
渚カヲルの主題の展開
続いて見ていくのはシーンC。つまり、TVシリーズ第24話でカヲルくんがセントラルドグマに侵入するところから、エヴァに乗ったシンジがカヲルくんを殺すところまでの部分です(エヴァで「第九」といえば、ここがメインですね)。
この部分では原曲の164〜330小節と543〜633小節が使われているのですが、そのなかで、歓喜の主題が出てくる部分を以下にいくつかピックアップします。歓喜の主題がほんとうにカヲルくんと関連しているか、そしてどのように使われているのか、確認してみましょう。
小節番号164-187「エヴァ弐号機、起動!」

音楽の内容 | ・Tutti(全奏者の合奏)で歓喜の主題を確保 ・フォルテで奏でられる輝かしい場面 ・それまでの部分に比べて律動的である |
ストーリーの内容 | ・カヲルがセントラルドグマへの侵入を始める ・カヲルの侵入と、カヲルが使徒であることにネルフのメンバーが気づく |
カメラが写しているもの | ・弐号機の起動 ・ネルフのメンバーがパニックになる様子 |
ここは、第九が再び鳴り始めるシーンの最初。カヲルがセントラルドグマへの侵入を始めるシーン、つまりサードインパクトの始まりといえるシーンです。音楽としては、オーケストラ全員が主題を演奏する、非常に輝かしい場面です。
まず、ここでは歓喜の主題が確保されています。これは、前述のシーンBと同様、渚カヲルという存在の表現でしょう。
ただし、同じ「主題の確保」といっても、カヲルくんの鼻歌や、シンジがカセットプレイヤーで聴いていた穏やかな部分とは雰囲気が異なり、ここではかなり輝かしく華やかな雰囲気で、大音量で主題が演奏されます。この対比によって、渚カヲルという人物の存在感、そして「使徒だったの!?」という驚きが強まります。個人的には、トランペットの響きが天使のラッパみたいだなあとも思ったり。
またこの部分では、主題に加えられたスタッカートや、ティンパニ・弦楽器・コントラファゴットの「4分音符+8分休符+8分音符」の動きにより、リズムが強調されていることにも注目です。4分音符を中心として規則的に刻まれる、どこか鼓動のようにも思える律動感が、ネルフメンバーの焦燥感を際立たせているように思えます。
小節番号241-256「待っていたよ、シンジくん」「カヲル君!」

音楽の内容 | ・バリトン(+低弦)が歓喜の主題を独唱 ・シーンAのチェロ・コントラバスによる主題提示と対応する |
ストーリーの内容 | ・シンジ(初号機)がカヲルを見つける ・シンジとカヲルの会話がここからはじまる |
カメラが写しているもの | ・シンジとカヲルの会話 ・初号機が弐号機を止めようとする様子 |
歓喜の主題の再登場にぴったり合うタイミングで、シンジがカヲルを見つけます。そこから、二人の会話がはじまります。こういうふうに、音楽の展開に沿ってストーリーが展開していくのがすごい……(音楽とストーリーの関係は、後編でもっと詳しく見る予定)。
そして第4楽章全体の構造を見ると、このバリトンソロの場面は、シーンA(カヲルの鼻歌)で見たチェロ・コントラバスの主題提示の場面とちょうど対応しています。簡単にいえばここでは、最初と同じような過程を、ちょっと違う形で演奏しなおすような部分です。そしてストーリー的にも、この場面でシンジとカヲルは「違う形で出会いなおす」わけですよね。ここでも、ストーリーの構造と原曲の楽曲構造がパラレルになっています。
小節番号543-593「ついにたどり着いたのね、使徒が」〜「そうか、そういうことかリリン!」


音楽の内容 | ・オーケストラTutti+合唱で、さらに律動的になった主要主題を奏でる ・弦楽器の細かい刻み ・最後は突然G-durに転じてG.P.(全休止) |
ストーリーの内容 | ・ミサトが自爆を指示しかけるものの、直後状況が変わる ・使徒が結界のなかに侵入し、サインが消失 ・セントラルドグマに置かれているのがアダムでなくリリスであることにカヲルが気づく |
カメラが写しているもの | ・ネルフチームの混乱 ・カヲルの表情 |
カヲルくんがサードインパクトが発生させるのを防ぐため、ネルフ本部をまるごと自爆させるようミサトさんが指示しようとする場面。ここで、今までで最も華やかな形で歓喜の主題が奏でられます。クライマックス感の演出、もうまもなくサードインパクトが起こることを予想させるような音楽の使い方です。
しかし、ここまでずっとD-durで続いてきてそのまま終わりそうだった音楽は、「違う……これは……リリス!そうか、そういうことかリリン!」というカヲルくんの気付きの直後、突如としてG-durに転じます(譜例6)。そして、空中に放り投げられるかのようなかたちで差し込まれる、全パートの休止。この部分を境目として、音楽もまったく異なる局面に入っていきますし、アニメのストーリーも予想外の方向に進み出します。
ここまでのまとめ
ベートーヴェンの交響曲第9番第4楽章における「歓喜の主題」を「渚カヲルの主題」と見て、TVシリーズ第24話におけるその提示・確保・展開を分析したところ、以下のようなことがわかりました。
- アニメ内部のストーリー構造と原曲内部の構造がパラレルな関係にある
- 原曲の展開をうまく利用して(あるいは原曲の展開に依存する形で)ストーリーが展開されている
- 原曲の音楽表現がアニメ表現を際立たせて、より強い印象を与えるのに役立っている
カット箇所はあるものの、TVシリーズ第24話では基本的にベートーヴェンの楽曲をそのまま、しかもかなり長時間にわたって使っています。アニメ用に作られたわけではない楽曲を長尺で使っているのに、少なくとも今回取り上げた部分では、ストーリーとの齟齬が生じず、それどころか相乗効果が生まれていました。
では、その他の部分はどうなのか?「第九」が長尺で使われている部分全体を見ると、なんらかの「ズレ」が生じていたりはしないか?そのあたりは、後編で検討します!
次回予告
後編では、TVシリーズのサードインパクトのシーンと新劇場版:Qのフォースインパクトのシーンを取り上げて、ストーリーの展開と楽曲構造の関係を分析する予定です。
加えて、ベートーヴェンの交響曲第9番という作品そのものを解説し、たのしく聴ける音源をいくつかご紹介します。乞うご期待!
[使用譜]
- ベートーベン 交響曲第九番 ニ短調 作品125[合唱付]全音楽譜出版社
- Beethoven, Ludwig van. 1938. Neunte Symphonie. In Ludwig van Beethovens Werke, Serie 1, Leipzig: Breitkopf und Härtel

- このジンクスに強く影響されたのがマーラーです。彼は9番目に書いた交響曲を交響曲としてカウントせず《大地の歌》と名付けました。そのあと改めて交響曲第9番を作曲したマーラーでしたが、交響曲第10番を完成させる前に亡くなってしまいました。
- もし、もう一つ「鼻歌の元ネタ」の候補を挙げるなら、そのあとバリトンソロが同じ主題を歌う部分でしょうか。たしかにカヲルくんの鼻歌の「リズム」の面を重視するなら、バリトンソロのほうが近いといえます。しかし、このバリトンソロはフォルテでスラーもなく、歌詞があることも相まって「雄弁」な感じで歌われます。さらに、ここには伴奏もあります。やっぱり元ネタはバリトンソロのところじゃなくて、チェロとコントラバスの主題提示部分だよなあという感じがするんですよね。