2021年、「エヴァンゲリオン」が終劇しました。
わたしはまったくもって、熱心なファンではありませんでした。エヴァはなんというか、単なる空気のようなものでした。別にアニメが好きだったわけでもないけれど、なぜかエヴァは「当然観るもの」としてそこにあり、だから観ていた、というだけ。
エヴァが終わった、というひとつの事実は、だからこそ衝撃でした。自分を包んでいた空気がなくなるのは大事件です。懸命に愛してきたものを失うのとはまた異なる大きな喪失感。これまで当たり前にそこにあったものを、これからの世界が現在形で共有することはもうありません。友人と密やかにエヴァについて語るときの、同じ今を生きていることを確かめ合うような感覚も、もう二度と得られないでしょう。
と、こうして一定の感慨に耽りつつも、やはり自分はちゃんとしたファンではなかったわけで、エヴァの「アニメとしてのすごさ」みたいなのをわかりきってはいません。しかし一つだけ確かだと思うのは、「エヴァは変な感じでクラシック音楽を使うアニメだ」ということ。
特にTVシリーズ24話の、「第九」(ベートーヴェンの交響曲第9番)のシーンを初めて観たときの衝撃は凄まじいものでした。なぜそのシーンで、その選曲なの?……しかし、観ているうちにだんだんと、ここに合う音楽は「第九」しかありえないような気持ちになっていくのが不思議でした。
わたしの場合、「歓喜の主題」そのもののイメージが、エヴァ以前/以後で変わったといっても過言ではありません。あのシーンに出くわして以来、第九のメロディーを聴くと、悲劇的な高揚感に包まれるようになってしまったのです(だから、年末が来るたびに世界が終わるような気がする)。
曲自体のイメージを書き換えてしまうほどの強度は、いったい何に由来しているのだろう?しかも「第九」という、もともと非常に強烈なイメージを持っている曲を……どうも、「使うシーンが変だ」ということだけが理由ではないような気がするのです。
ところでエヴァでは、第九以外にもいくつかクラシック音楽が使われています。たとえばヘンデルの《メサイア》、バッハの無伴奏チェロ組曲、などなど。「シン」で使われた《もろびとこぞりて》も、広義ではクラシック音楽かもしれません。今まで第九に気を取られていたけれど、その他のクラシック曲も、どれも印象的な使われ方をしています。
なぜそのシーンで、そのクラシック音楽を使うのか。
そして、なぜその「変な選曲」が、ここまでうまくハマるのか。
もしかしたらすでに論文などが書かれているかもしれませんが、探した限りでは、自分の疑問にストレートに答えてくれるようなものは見つけられませんでした。そこで、ひとまず自分で調べてみることにしたのです。一人ではちょっと心細いので、エヴァやクラシック音楽に詳しい人たちにもご協力いただくことにしました。
次回以降、使用楽曲を1つずつ取り上げ、劇中において楽曲が持っている意味を考えていこうと思います。せっかくWebで公開するのだから、多くの人の解釈を聞いてみたいです。その叩き台になるような記事を作りたいと考えています。
ついでと言っては何ですが、楽曲そのものの解説やおすすめの音源なども書き添えて、これまであまりクラシック音楽に親しんでこなかった人が、曲自体のよさを楽しめるようなきっかけも提供したいです。
というわけで、まず次回は「第九」に挑みます! 更新まで、しばらくお待ちください。
コメント