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ノイマルクト劇場&市原佐都子/Q《Madama Butterfly》

昨夜、久しぶりに演劇を観に行った。日常的に観劇するタイプの大人になりたいと思いながらもなかなか観に行く習慣がつかない。だからとても久しぶり。何年ぶりだか忘れてしまうくらい。実はこの夏にマームとジプシーの《cocoon》を観に行こうと思っていたのだけれど、コロナに感染してしまって行けなくなった。

それもあって楽しみにしていた公演、ノイマルクト劇場と市原佐都子/Qの《Madama Butterfly》。この舞台の存在を知ったきっかけは、文学ムック『ことばと』であった。vol.3に市原佐都子の小説「蝶々夫人」が載っていて、それがおもしろく、この人の作品をもっと読んでみたいなあと思った。そして市原佐都子という人が劇作家・演出家だということを知らなかったので、名前でググったときにびっくりした。そして自分が読んだ「蝶々夫人」は舞台「Madama Butterfly」の小説バージョンであり、舞台「Madama Butterfly」は本当なら2021年に日本での公演を終えていたはずだけれど、コロナのせいで2022年9月に延期になっていることがわかった。しかも会場はロームシアター京都で、家からバス一本で行ける。行く以外の選択肢がなかった。

空がきれいな色でした

本作はジャコモ・プッチーニのオペラ《蝶々夫人》の再解釈のような作品で、プッチーニは1900年頃に「西洋/男性」の視点から「日本/女性」を描いたけれど、それを市原は、現代の「日本/女性」の視点から描きなおす。といってもただ構図を逆にしただけではなく、それを通して問題をもっと複雑化しているというか、ほんとうの複雑さを明るみに出しているというか、そういう感じ。事前に小説バージョンを読んでだいたいの筋書きを知ってから行くからマシかもしれないけど、たぶんしんどくなるんだろうな〜と思いながら会場に向かって、だいたいまんなからへんの席に座る。折りたたみ式の簡易的な椅子にふかふかのクッションが載っていて、そういう環境で何かを鑑賞するのがまず新鮮に感じる。オペラ劇場とは違うよな、と思う。演劇をもっとたくさん観に来たい。

配られた白黒A42つ折りのパンフレットを見る。スタッフリストを見て「ドラマトゥルク」というポジションがあることを恥ずかしながら初めて知り、意味を調べてみたらかっこよかった。「舞台芸術における職分で、劇場やカンパニー(劇団など)、あるいは個々の公演の創作現場において生じるあらゆる知的作業に関わり、そのたびごとにサポート、助言、調整、相談役などの役割を果たす。各職能(演出、舞台美術、照明など)の担当者と異なり、ドラマトゥルクはあらゆる職能に関して決定権を持たないが、他のすべての職分と対等な立場で意見の交換を行なう。また、常に創作の全体に目を配ることで『外の目』として機能することが求められる。演劇や文学のみならず哲学や科学など、それぞれが持つ演劇外の専門知識によっても創作に貢献する」(出典:現代美術用語辞典ver.2.0

その上に、市原佐都子から寄せられた文章が載っている。やっぱり、とても好きな言葉の運び方だ、惚れ惚れする。ここに一部でも引用しようかと思ったけど、市原佐都子の言葉というのは全部引用しないと良さが伝わらない気がするのでやめる。この夜の演劇にも似た側面があった。最初こそ「あーこれは小説だけ読んで、舞台観るのはやめておいたほうがよかったかも」などと思った気がするのだけれど、しだいに流れに飲み込まれていて、終わった瞬間に自分の最初の感覚がよく思い出せなくなっている、だけど最後まで行っても何一つ解決しないし、そこで起こったことのいったい何が響いたのか取り出すことはできないで、ただ塊のようなものが自分に染みわたって、お風呂で洗ってもたぶんとれない。

けど小説バージョンと舞台バージョンでは、その塊を引き受ける感覚がけっこう違ったような気もした。小説はぎゅっと凝縮されたドロドロのしんどさだったけど、舞台はもっとみちみちとした、いろんな色の色水が自分の身体にじわじわ染みをつくっていくみたいなしんどさがあった。

内容について、なんとか一言述べるとすれば、差別とか多様性とかそういうものに対して一人でもやもやしていたものが、決してきれいにはならないけど、はっきりとちがうふうにぐちゃぐちゃになって、それは全然希望とかじゃないんだけれど、でも観終わったあとに、もしかするとまだ生きていけるのかも、と思う感じ。市原によると、その人を本当にわかるとはどういうことなのか、というのがこの作品のひとつの重要なテーマであるらしい。「わかりたい、わかってほしい、でもわかりようがない」現実に向き合い続けなければいけないのだろう、その苦みを噛みしめる覚悟は少しだけできたかもしれない。やっぱりほとんど何も説明できない。

全部が終わって会場から出る道すがら、自分が今まで全身に力を入れていたのだなあと気づく瞬間があって、そのとき急に、泣きそうになるときみたいな指の末端の痛さがきた。東山二条のバス停まで来てもまだ息がうまく吸えない感じが残っていて、これは、あとからじわじわ効いてくるやつなんだなと思う。

予想していたよりもずっと長いあいだ、喉のあたりにさっきまでの世界が貼りついて離れなかった。良い小説を読み終えたときにも世界がこびりつくけれど、それとは違うところに貼りついてくる感じ。とにかく喉を支配されているせいで、語りたいことがたくさんあるのに、頭の中でさえ何ひとつ語れないままバスを待つ。同居人に「帰ります」とメッセージを送るけど、なんだかそれはぜんぜん別の人が指を動かして自動で送ってくれたような感じ、つまり一種の解離であって、ああ、これを得るためにわたしは必死で芸術を受容しているんだよな、と思う。現実とは違う世界に放り込まれること……というよりもその世界のほうが本当の現実で、実は生の現実というのは芸術を通してしか見えないものなのかもしれない。

▼ 小説「蝶々夫人」が載っている『ことばと』vol.3はこちら

著:崎山蒼志, 著:柴崎友香, 著:市原佐都子, 著:イ・ラン, 著:柴田聡子, 著:澤部渡, 著:町田康, 著:水沢なお, 著:小島ケイタニーラブ, 著:森栄喜, 著:青柳菜摘, 著:さや, 著:澁谷浩次, 著:寺尾紗穂, 著:豊田道倫, 著:七尾旅人, 著:野口順哉, 著:蓮沼執太, 著:山本精一, 著:諭吉佳作/men, 著:佐藤良明, 著:細馬宏通, 著:大沼恵太, 著:山縣太一, 著:胡遷, 著:東千茅, 著:百瀬文, 編集:佐々木敦
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京都在住。創造的なことすべてに興味があります。

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