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石井妙子『女帝 小池百合子』

なんだろうこの複雑な感情は。簡単に言い表せそうなのに、いざ口に出そうとすると喉に詰まって出てこないような気持ち。

本を開くといつも、無力な小さな女の子としての小池百合子がそこにいる。つい救ってあげたくなる。でも絶対に手が届かない。

確かに著者のいうとおり、彼女はずっと「失われている」のかもしれなかった。すでにわたしは失われているから、もう失うものはない――そういう気持ちなら、よく知っている気がする。

これから先、ひとりの悲しい少女としての彼女だけを、メディアで滔々と話す彼女の顔の奥に透かし見て、彼女が生きてきたしんどすぎるドラマをスルメみたいに味わっていても、たしかにわたしは死なないかもしれない。でも、現実の犠牲を考えると、そんなにセカイ系みたいな態度では済まされないとも思う。だけど、でも。

この本を読みすすめるなかで、はじめのうちは、自分の見ている世界がいかに静かで狭く、安全なのかを思い知らされる。でも、ここは彼女の住む場所と確実につながっていて、それが不意に感じられることもあるのだ。女として、彼女のように生きていくことができればと、全く思わないといえば嘘になる。たとえ「孤独だ」「本当の仲間がいない」と言われたとしても、自分が置かれたひどい社会のぬるいつながりのなかで過ごすよりはマシだっていうことが、こんなわたしにだってあった。でもよく考えると、それだってとても狭い世界でのことだった。

少なくとも表向きには、彼女は縦横無尽に駆け回っているように見える。まあ、がんじがらめになったままで駆け回っているのかもしれないけれど。それでも、いまの自分よりは楽しそうだと思ってしまった。彼女とはスケールが違うにせよ、かつて毎日が戦いだった頃が自分にもあって、それを懐かしく感じてしまった。そのことがなんだかとてもつらい。この本を読んで純粋に「怖い」という感想を表明できる人と、わたしは何が違ったのだろうか。

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