薔薇の朝、愛でることの痛み

本当に、このことだけでじゅうぶんだな、という日だった。

しばらく鉢で咲く姿を楽しんだあと、花器に活けてみた。隣の鉢で咲いていた(若干咲きすぎていた)ミニバラと一緒に。

はあ、ほんまにかわいいなあ。

薔薇という花の持つ圧倒的な特別感について、既に知っている気がしていたが、それはまったく間違いであった。これはもう、自分で育ててみないとわからないものなんだと今朝思い知った。

「愛でる」という行為について、自分の中で一段深いところで把握できるようになったと思う。
愛でるというのはただ対象の美に感じ入り大切に可愛がるとかそんな美しいものではなく、本当のところでは、ひたすら自分の無力さを痛感する行為なのではないだろうか。

目の前にある薔薇の美しさを汲み取っても汲み取っても汲み尽くせない情けなさと、そんな奇跡のような存在の近くに居られることの誇らしさとのぐちゃぐちゃの混合物が心の中に無限増殖し、氷が沁みるように胸が痛くなった。

美しい朝。

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