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克己心

いつもなら鬱陶しいと感じてしまうような相手と、今日は喋ってたいような気持ちなんです。距離感が近すぎるタイプの人が延々と話しかけてくるのを聞き流したりたまに笑ったりし続けたい。よくわからない気持ち。

昨晩は一ミリもお酒飲んでないのに服も着替えずに寝落ちして気付いたら今朝。疲れるようなことしてないはずなのだけれど。ちゃんと疲れたい。いつも不本意に疲労して一日が終わるというのをやめたい。近くのプールにでも泳ぎに行く? 夏だから。

そもそも、承認しなくても今日がが終わり明日が来てしまうと毎晩思っているけれども、明日起きたらそれを「今日」と呼ぶ、または明日を「明日」と呼ぶ、その時点でわたしは新しい日の到来を承認してしまっているのだろう。なぜ? 今日を今日と名付けるのは、誰かと約束するためにやっていることでしかない。昨日も今日も明日もない、粘った液体のような毎日を送るためにわたしはもっと孤独でなくてはいけないのか。

高校生の頃「克己心」という言葉が好きでよく使っていた、皮肉っぽくしか使えなかったけれど。見た目がなんかダサくて、でも口にしたときのリズム感が良くて、そのギャップ? のせいで肝心の意味が宙に浮いてしまうような感じが面白かった。

克己心、克己心、おのれに向かって呪文を唱え、時間に切れ目を入れようとする右手を左手で押さえつける。12時と0時の重なるところに残った跡、見て見ぬふりなんかもうしたくない。

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京都在住。創造的なことすべてに興味があります。

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