三条あたりにある喫茶店でこれを書いている。なんだかんだ理由を付けては京都に来てしまう。大学時代が忘れられなくて大学時代のような生活をしたいという気持ちを「京都に戻りたいけど戻れない」みたいな言葉にすることによってなんとか抑える、そういう行為をあまりしたくないので、なるべく京都を特別扱いせずに暮らしてゆこうとしているのだが、なかなか難しい。思い立って河原町に来れるくらいには京都に近いところに住んでいるから「戻りたいけど戻れない」的なことを言わずにやっていけていて、それはたぶん相対的には幸いだ。わたしは就活をしなかったし実際就職していないのだが、一瞬だけ「就活してみようかな期」があって、そのとき調べた結果「やってみたい仕事が東京にしかない」ということがわかった。京都にいつづけるのは本当に難しいのだ。この事実そのものがわたしには苦しい。
「気がついたら左京区に家を建てていて、左京区に戻りたい人が一時的に戻ってきたときにはなみなみとかに飲みに行った上で必要なら泊めてあげる」みたいな感じが良いが、全然お金が貯まらないので実現できていない。でも近づいている、と信じたい。信じていなければやっていけないよ。
「好きなように暮らしていた時空間」を今の生活とまったく別のものとして切り離した瞬間、今の生活が「好きなように暮らせなくても仕方ない時空間」として認識されてしまうのがとても怖い。たぶんわたしは自分だけでなくみんなにもっと好きなように暮らしてほしいと思っているのだろう。でも、もしかしたらみんなはわたしが思っているよりずっと好きなように暮らせているのかもしれなくて、それだったら全然いいんだけれど。そうだったらいいな。ほんとうに。
コメント