2019/05/09 日記


今日は朝からゆうきのアルバムばっかり聴いていた、ほんとうに一日中。
汝、我が民に非ズのライブの前座として出演されているのを聴いてすぐに完全に好きになってCD買ったんだ。
すごくいいから未聴ならぜひ買ってみてほしいな。

今日寒すぎる。起きた瞬間から本当に寒くて寒くて凍えていた。
陽にあたってもまだ寒いから風邪かもしれない。
今日ははやく眠ったほうがいいのかなあ、
最近また悪夢ばっかり見るので寝るのがこわこわですよ。

昨晩は、悪夢にとどまらず、金縛りにあった。久々だった。
なんかよくわかんない人がわたしの首に手をかけてきてて、首絞めて殺すぞ!!! 的なこと言っててめっちゃうるさくて、その逆サイドで母なのか夫なのか曖昧な人が必死でそれを止めてて両サイドがかなり騒がしくて、わたし自身はというと、別に絞め殺してくれていいよ〜〜〜て言ってるから(なんで金縛りにあってる当人が喋ってるのかそれが謎)OKわかった! みたいな感じで実際に絞められていって息が苦しくなっていってた……途中でなんとか抜け出したけど金縛り、疲れるよね。
今日は安らかに眠らせてほしい! なるべくいい子にするから。

2019/05/08 日記

4/17から、ドイツ語の文章を毎朝1段落ずつ読むことにしている。

ネルソンス/ゲヴァントハウス管の2016年末の第九を聴いたときに買ったパンフレットのプログラムノートを読んでいる。

ルーズリーフにわかんなかった単語書いて、訳文作って、たまに原文写して構文書いて、中学の英語みたいなことやってる……とてもたのしいよ!

連休中はおやすみしていて、昨日再開、今日は昨日よりずっと読みやすく感じた。

それでもまだ、数年前にドイツに滞在していた頃とは比べ物にならない!

今の自分がそのときの自分と同一人物とは思えないほど忘れている。

凹むけど、まあ何もしないよりいいので、やってみている。

いつかドイツのワイナリーを巡りたいのだ。わたしはドイツのリースリング(辛口)が好きなので。

言語を勉強していると、慣れるということの偉大さが身にしみてわかるね。

毎日少しずつでも触れること、その大切さ。

はあ、、一番苦手なことなんだよな……かなしい。

子供の頃から「毎日当たり前にやる」ってのが本当に苦手で叱られまくってたけどわたしだってやりたいんだよ、やりたいけどできない日があるのが自分でも悔しかったずっと。

毎日しなければ身につかないことがあまりにも多いよね人生、

わたしはとても怠惰な人間であり、こんなにも科学が進歩しているのに毎日食べて排泄しなければならないということだけでもかなり面倒だと思ってしまうくらいなのだ。

だからほんの少しでも毎日同じことに取り組もうとしているのは大チャレンジなんだよ、褒めてほしいよ。

結局すべてのことは大きく見れば言語のようなものにも思えて。

言語を勉強することはいろんなことに役立つ、

その一環として日本語も高めていかなきゃな~と思ったのでとりあえず日記を書こうとしているのだ。

ブログのデザイン変えたいんだけどいいテンプレ探せてない。

もっと日記に特化させて読みやすい感じにしたいんだけどWordPressやたらマガジンっぽくなるテンプレが多い。

最近ね、病的な過食が止まらなかったんだけど今日はしなくて済んでて嬉しいよ。

自分の身体を大切にしなくてはいけないのだろうと思うけれど、なんだか大切にする意味も最近あんまりわからなくて傷がめっちゃ増えてる。

お風呂でしみるし嫌だな。

今日こそ平穏に終えたいって毎日のように祈ってるけど、なかなかできないからいっそそんなこと願わずに無茶苦茶に暮らしたほうがいいのかな?

だけどものすごくつらいことがあったときに、ふだん地道に生活してるということが予想以上に強みになるんだよね。それは最近わかってきたこと。

どうしたら地道に、でも面白く時間を過ごすことができるんだろう?

「暮らしたくない」と思う気持ちが、わたしはとても強いので、地道にやるのが難しいです。

鴨川ピクニック編み会

最高の鴨川日和となった今日、友人と、編み会という名のピクニック、またはデート、をしました。
さぜんさん、ありがとう。

午前中

・編む@鴨川

お昼

・AUX BACCHANALES でキッシュを食べる
 かなり分厚いふんわりしたキッシュ、美味しかった、パンも◎

・恋愛のはなしをする

午後

・WALNUT Kyoto 訪問
 輸入糸の数々、素晴らしい。
 友人が高級いちごチョコレートみたいな糸を購入。
 わたしも次編む作品が決まったら糸買いに来たい。

・ジュンク堂で本を見る

・スタバで新作フラペチーノを買う
 2人ともRedのほう、
 わたしフラペチーノ飲んだの多分10年ぶりくらいだった。

・再び編む@鴨川

帰ってから

・思い出して、にこにこする
 この幸福な気候のうちにもう一度開催したい。

・日光を浴びたので今日はよく眠れると思うと嬉しい

君が眺めていないとき、月は存在するか?


この質問をいつも投げかけてくれた彼女のことをわたしが思い出したのは何年ぶりのことだろう?
今いったいどこにいるのかまったくわからない。何度かメールしてみたけれど返事が来なくて諦めてしまっている。

わたしが思い出さない間、彼女は存在したのだろうか?
わたしが思い出す限り、彼女は存在するのだろうか。



これを久しぶりに考えているのは昨日マルクス・ガブリエルについて少し読んだり観たりしたからで、彼によれば世界以外の全ては実在する。
それはどこにあるのか? 存在はすべて、どこかに irgendwo ある、という。

あなたが思い出す限りわたしは、身体が死んだあとも、どこかにありつづけることになるのかな、それはちょっと怖い。
でもそう考えれば「生きなければいけない」という責任の重みがだいぶ軽くなるような気もする。



「生きなければ…」という気持ちは、わたしが幼少期から背負い続けてきたものだ。
父親が死んだ分、わたしはどれほど死にたくなっても母のために生きなければいけないと思ってきた。

その気持ちがかえって死にたみを高めた。それは父親の死に方こそが自殺であるためだ。
「お前が生きていればわたしは自殺できたのに」という怒りがずっとわたしを内側から蝕み続けた。



最近はあまり具体的に死ぬ手段を考えたり道具を買ったりしなくて済んでいるのは、結婚する直前に父の墓参りに行ったら「死ぬなら結婚前にしろ」みたいな幻聴がきこえたのも一因としてあるが、何よりも、「生き続けなければならない」という責任感がだいぶ薄れてきたのが大きい。

なぜ責任感が薄くなったかというと、母が以前とは別人のようにわたし無しで楽しそうに暮らしており、また夫はそもそもわたしがいなくても絶対大丈夫そうな人間だからだ。



それに加えて「誰かが思い出す限りわたしはどこかにありつづける」と考えることで、もっと楽になりそうな気がした。
なぜ今までそう考えられなかったのか?
それはおそらく、わたしの実家では長い間、父親のことが「なかったこと」「触れてはいけないこと」のように扱われていたからだと思う。

娘の結婚に反対していたらしい祖父母が亡くなり、わたしも母もいろいろと学ぶ中で、今では少しずつ父の話題にも触れられるようになってきた。
まあ今でも親しみとかは全く持てないけれど、自分の親についてとりあえず話せるというのは良いことだと思う。



自分や他人の自殺を止めるのは本当に難しいよね、わたしはぐうぜんまだ生きているというだけ。
ただ、「死んでも忘れないよ」っていうのは、「死んだら悲しいよ」っていうのと実は同じなのかもしれないと思った。
一番自殺したかったときわたしは、死にたいというよりもむしろ、自分を忘れ去ってしまいたかったし忘れ去ってほしかったのだ、多分。



※ ここを読んでくれている高校のお友達で、冒頭の「彼女」が誰だかわかって、そして彼女の現況をご存知の方がおられたらそっとわたしにご連絡いただけると嬉しいです。

▼ マルクス・ガブリエルのベストセラー本↓

▼ 國分功一郎も、死者との関係について似たようなことを言ってた気がします(関係性が変わるだけでいなくなるわけではない、みたいな)
どこで言ってたかは忘れた……この本じゃなかった気もするんだけど(100分de名著『エチカ』だったかも)、これは「意志」「責任」にまつわる本で純粋におすすめなので載せておきます。

死んでしまっているかもしれない

何かを書くというのは訓練のいることなんですよねえ。前のブログをやめてしばらくしたらすぐに141字以上が書けなくなったし、読むのも大変になりました。

カウンセリング受け始めたのをきっかけにnoteをやって、その後カウンセリングやめるのと同時にnoteもやめて(やめたすぐあとにみんながnote始めたからちょっと時期ずれで寂しい)このblogを始めて今、ようやく補助輪付きの自転車位の感覚で書いている。

死ぬほど書きたいことができたときにちゃんとそれを書けるよう、練習というか、筋トレをしているイメージだろうか。

ある時期わたしは、自分が本当は既に死んでしまっているのではないかという妄想に取り憑かれていて、そしてなんだか、どうしてもそれを書きたくて、書かないと死ぬという感じになって、毎日キーボードの上でストラグルしてた時期があった。

だけど、そのとき偶然読んだ平野啓一郎の本がかなり似た設定で始まったのだ。それでなんだか疲れて中断してしまっている。

平野啓一郎の作品は本当にすごく好きなんだけど、同じゼミで同じ教授に学んでいたということがまざまざと感じられてしまって素直に読めない。それがめちゃくちゃ悲しい。自分の運命を呪うとすればこのことが一番に来る。そのような作家とほんのちょっとでも発想が被ったのは、喜ぶべきことかもしれないが、やっぱり複雑な気持ちなのだ……わたしは、あの偉大な作品を前に、きっと跪いてしまった。

でも今この記事を書いていると、書き出しの設定こそ似ているかもしれないが、その後の展開は全く違うのだし、そもそも自分が本に求めるのは物語というより語り口であるのだから、またそろそろ続きを書いてみても良いのかなあという気持ちになってきた。

それだけを言いたくてこの記事を書きました。

やはりわたしにとってブログという場は、なんでも話せる信頼の置ける人間のような存在なのだと思う。

それはすなわち記事を読んでいるすべての人間を、あるいは読む可能性のあるあらゆる人間をそのように信頼しているということなのでしょうか?

いやいや違うはず、そんなわけないよねえと思う。なんで全体に公開してる場が自分にとってこんなに親密な場になるのか本当によくわからないですね。まあいいや。

2019/04/09 日記

140字で呟ける素朴な日常などもうどこにも残っていないような朝にぼくはいる。

空から降ってくる青みの混ざった光があとほんのちょっとのところで届かず窒息してしまいそうで窓を開ければ、近くに遠くに走ってくる・走ってゆく車の音がごうごうと響き合って、何かを考えるための余白がなくなってしまった。

自分を大切にするために淹れたはずの珈琲は冷めきって舌の上でナイフになり、なんだかぞっとして関節が震えるような気がする。

鳥肌を立てながら、昨日おとといあたりに自分を生かしてゆくために殺した命の数を数えてみても何も感じることはない。

轟音の切れ目に聴こえるバロック音楽なら、そんな無感覚でも良いと言ってくれるのだろうか? 何に対しても意見を持たない・意見を持ったとしても表明などしない、そうしていられることじたいが贅沢品で、これから先、どのように自らの思想を愛することができるだろう。

今はもう、残っている分の珈琲だってレンジでチンできるという。香りは飛ぶかもしれない。けれども外から吹き込んでくる直線状の音のせいで、もう香りなんかわからなくなるくらいに寒いのだ。

最後にもう一度、と窓を閉めると途端に響き出すト短調は不思議にぼくを不愉快にさせない、今度聴いているのはただの残滓だからだ、

劇的だけど自分には関係ない、いや、ちゃんと関係があるのかもしれない、本当のところはわからない、それくらいの触り心地で、反響してくる余韻のところだけをシャワーのように浴びるための音楽。

「この時代に生きていたらよかったのだろうか?」それは結局どういうことなの? 何が言いたいの? そんなことはわからない、本当のところ、というのは誰にだってわからない、わかることなんか何も要らない。そんな朝にいる。


生まれて初めて世界に嫌悪したあの瞬間、園庭にて

あなたは人生で初めて自分の生まれた世界を嫌悪した瞬間を覚えていますか?

わたしは保育園の卒園が迫る季節、園の先生に「将来の夢」を尋ねられたあのとき生まれて初めて世界に絶望した。
その質問に絶望したのは全然意味がわからなかったからで、意味がわからないのは具体的には以下の2つについてだった。

  1. 将来の夢がイコール将来就きたい職業であること
  2. 非常にプライベートな質問なのに絶対に公開しなければいけないということ

わたしは分離不安がひどくて保育園に行く朝は毎日泣きわめいた。
それでも無理やりつれていかれた。保育園に行くより家にいたかった。

友達の名前と顔がまったく覚えられなかった、ひとりだけ覚えられたけどその子と仲良くするのもプレッシャーだった。
でも家族からはその一人と仲良くなるべきだという感じがあったのでがんばってそうしていた。
さらには、「みんなみたいにできない子」「泣いて困らせる子」なのに優しくしてくれる先生に感謝するよう、家族からも半ば強制され、思い込むように無理矢理に先生を好きになった。
わたしは保育園を出たあと何年もの間、友達関係や恋愛関係で何回もこの同じことを繰り返してる感覚があった。
今でも美容院の人や病院で検査受けるときの看護師さんなんかにはそういう感覚を抱いてしまう、
自分なんかに優しくしてくれる人は稀有なので好きにならなければいけないという強迫観念。
無意味に過剰な自意識。ぜんぜん取れない。

という感じで、保育園がほんとに嫌だった。
そんな嫌な場所、卒園したら保育園の人々とはおさらばだし、今後の人生で関わり続ける必要もないはずなのに、
そんな人々になぜ将来の自分について語らねばならぬのか!?
意味がわからなかった、

しかも将来大人になったら絶対に仕事しなきゃいけないなんておわってると思った。
そのころからわたしは多分、働くくらいなら死にたかった。
仕事にいいイメージが全然なかった。今もあんまりない。

それよりもむしろ将来の自分があるという感覚がずっとわからなかったし今もわからない。
将来の「夢」という言葉をきくたびに自分と自分以外との乖離を感じた。
大人になるまで生きていて自分のやりたいことをやってるのが素晴らしいという考え方。しかもやりたいことというのは労働である!
幼い頃から我々が植え付けられる強烈なイデオロギー。
それに初めて触れたときからずっと拒絶反応があって、たぶんこれをうまく取り込むことができてたらもう少し生きやすかったかなあ、

お金に困ればもっと真剣に働いてたのかな、とifを考えることもある。
小学校を卒業するまでは友達と遊ぶ回数も遊びにいける距離も内容も厳しめに制限されていたので、駄菓子屋とかでお金を使う機会がなかった。
中学生以降は学内のテストで1位とったらかなりたくさんお小遣いがもらえたけど、自分としては普通に生活してたらできることだったから努力ゼロでお金が手に入った。
大学以降下宿してたときも仕送りもらってたからバイトした分は全部貯金できるくらい余裕があった。
大学院出たらすぐ結婚して、家のことを好きなように管理してるだけでお金が入ってくる。

甘やかされたのかなあ。でもそれで生きていけてるなーって思う。
これでもまだ毎日生きるのがしんどいし。生まれてきてやったしずっと生きてやってるんだからこれくらいしてもらって当然でしょみたいな思想が根本にあるということがわたしの労働意欲を削ぎにきてると思う。

何が言いたいんかというとあんなに幼いときからあんなに無意味な質問をしてくる世界がものすごく無理ってこと、
ずっっっっと周りを喜ばせるためだけに適当な職業を答えつづけてたのを急に思い出してしまった。ので、この記事を書いてる。きっかけはわかってるけどいちいち書かない、

でもわたしはアンチ労働というわけではない。
労働内容や職業がイコール自分、となる考え方がものすごく嫌いで、
しかも、決まった時間に定期的に何かをするというのが決定的に苦手なので、ほとんどの労働に馴染めないというだけだと思う。

大学のなんか思想の授業で、労働というものが重要だっていう結論に至った思想家の話をきいたことがあって、
そのときは全然理解できなくて、
でも今思うとそれって「ていねいなくらし」(皮肉抜きの、ほんとうのそれ)なんですよ要するに。
地道に暮らしてゆくことが最終的にものすごく強いということは実際にある。
精神科の主治医に、人のために何かやるのがええよ、って言われたこともあって、それも意味わかんなかったけど。
しかし、「ていねいなくらし」って簡単に言えば、「自分のために何かを丁寧にやりつづける」ことだと思うんです。
自分のために何かをやるって他人のために何かやるよりよっぽど大変なことだよね。

個人的に、鬱の前駆症状として、手作りのごはんが食べられなくなるというのがある。
高校のとき頻繁にそうなって母を悲しませたこともある。
それはたぶん自分を蔑ろにしたい欲求が出てるんでしょうけれど、自分を蔑ろにするというのは自分のために何かを丁寧にやるということの対極にある行動ですね。

ということは労働というものの本質は、何かを丁寧にやることなんじゃないかと思う。
お金をもらって何かするということではなくて……
そういう意味でいうと、決まった対価を得ないで料理したり掃除したりつまり普通に生きてるっていうのが純粋な労働なのではないかと思うこともある。
最近やってる編み物だって、労働を煮詰めた結晶みたいな行為だ。
つらいことあるほど黙々と料理したり編んだりする傾向にあって、こういうとき労働って悪くないときもあるなあと思う、うまく距離を取るのが難しいけれど。

全然筋の通った文章じゃないしまったく終わりにたどりつく気配がないんだけど、以前はブログのことこういうふうに使ってた気がする。
自分にとってブログって場所はなんでも受け入れてくれる安全基地的な場所なんだろうなあ、
最近は新規投稿してもFacebookにあまりシェアしないようにしてて、そしたらめちゃくちゃ楽になりましたね。
FB経由で読んでますって言ってくださる人もいて嬉しいんだけどたぶん今後もあまりシェアしないと思う。
というのは、読んでもらうことに特化した記事は今後も書かないと思います、ということですね、更新通知のメール登録なんかもいちおうありますけど、、と書いても、これ自体をFBに流さないから意味ない。知らん。

なんでブルグミュラーかっていうと保育園のときお昼寝の時間にこの《25の練習曲》が流れてたんですよ。保育園に在籍してる間たった一度もお昼寝で眠れたことなくて、ずっと聴いていた。わたしにとってせめてもの救いの象徴のような曲集。

食べるということは

ヤン・ブリューゲル (父) / ピーテル・パウル・ルーベンス《五感の寓意:味覚》

食べるということはいったい何なんやろう?
何かを受け入れることであるという説明は聞いたことがあるけれど。
食べる対象というのは決して自分ではないものである。
自分ではないものを受け入れるということ?
そればかりでなく、自分ではないその何かによって未来の自分が構成されるということを受け入れたり、望んだりすることなのだろうね、と思う。

何かを食べるということは本を読むよりも強く自分に自分以外を浸透させる行為なのかもしれない。
わたしは本をちょっと読むだけで頭の中の文体が=思考の仕方が変わってしまう。
だから、何かを読むことには非常に慎重になってしまうけれど、
日々食べたり飲んだりするものに、それと同等の注意を払っているとは言えないのではないか?
大丈夫なのか? わたしはちゃんと生きているのだろうか。

かわいいものを食べ続ければかわいい人間になれる?
わたしはずっと究極のわたしになりたいっていう夢しか抱かずに生きてきた。
でも何を飲み込めばわたしになれるのだろう。そもそもわたしはどんなわたしになりたかったのだろう。
食べられるものなんてほとんどない気もするし、あらゆるものを食べるべき、みたいな感じもしてくる。
飲み込んだものに決定付けられる運命? サトゥルヌスは結局、子供らに支配される道を選んだのか、等。

おそらくは、選びながら選ばないということ――
なの?

そして、
何よりも恐ろしいのは「誰かのために食事を用意する」という行為である。
人に本を薦めるよりも、もっと責任のある行為だということになるのではないか。

自分はいつか、美味しいものが飲めて、美味しいものが食べられて、読書や勉強やその他の作業が好きなだけできるスペースを築きたいと思っているが
本当に、他人に食べ物や飲み物を提供するだけの覚悟があるのだろうか?

わたしの周りには懸命に何かを創り出している人が本当にたくさんいて、そういう人にお客さんになってほしいと思った。
それはもう神々である、
わたしの周りにはたくさんの神様がいると常々思っていて、彼ら・彼女らがまさに創造するその場面を目撃したい、というのが、わたしがそういうお店をやりたいことの根本にある気持ちである。

でも、そんな神々に食べるものを差し出すという、そんな烏滸がましいことができるのだろうか。
それとも本当は、そうやって間接的に創造したいという気持ちが心の奥底にあるのだろうか。

例えば、珈琲なんかのあらゆるものを常時3種類くらいから選べるようにして、選ぶということの楽しみを提供したい、なんて言っているけれど
ひとつの答えでなく選択肢だけを提供するということは、譲歩しているように見えて譲歩とは程遠い行為である。
やはり、無意識の願望がたくさん、密かに存在しているのかな。自分の知らない自分。

食べることそのものや、誰かのために食べ物をつくるということは
どちらも境界を超える行為なのでしょうか?
自閉的な生活だと思いこんでいるけれど、実際のところわたしはすでに、毎食の料理と食事で自らの自閉性を裏切り続けているのか。
明日、何を食べたらいい? わたしとは誰なのか。
まったくわからない。

日記 2019/03/02

倫理観が合わない人よりも、倫理観が曖昧でよくわからない人のほうが余程怖い。
何が自分の核にあるのか、ということについて、少し的はずれな自覚を抱いていそうな人よりも、自分の核についてまったく何も自覚のなさそうな人がとても怖い(正しく自覚するというのは、不可能だと思います)
占いを信じるという自分の選択のほうを信じているような人とはきっと仲良くできる。けれど、あらゆる診断結果に自分を見出し、そのことに何の不安も抱かない人に対しては、わたしは恐怖を感じる。
そうやって怯えたあとはいつも、自分がとても古いような感じがする。柔軟性がなく常に何かに執着している、取り残された人間のようにも思えてくる。
けれども、取り残されるということを、一種の勝利であると考えるのはどうだろう? わたしを恐れさせるあの独特の微笑み、あれらは全部、どこにも取り残されることができないで捨てられる虚しい表皮みたいだもの。
取り残されて初めて次のステージに進むことができる。
もし砂でできた権威ならわたしが壊さなくてもいずれ風に吹かれるか波にさらわれて崩れる。
選んでいるのだという誇り、たとえそれが選ばされているのであろうとも、わたしは「わたしが選んだ」というのが少しでも真実である可能性をずっと信じたい……そんなことをここ最近ずっとずっとずっと思っているし呪文のように頭の中で唱えている。


Twitterの規則の変更を受けてTwitter上で「次に使う場所」の話をしている人々を見て、なんだか彼らに限ってTwitterから離れることができなさそうだなあと感じた。
根拠は全然ない。ただ、わたしはそういう光景にすごく苛立った。これもなぜだかわからない。でもなんていうか、自信。あるいは傲慢さ。そういうものを勝手に感じ取ってしまった、と思う。
そのあと「わたしはできれば何にも依存しないで話し続けたり書き続けたいなあ」と強く思った。
でもそんなことは不可能だ、とすぐに思い直した。できるのは依存したくないと思い続けることだけで、何にも依存しないというのは無理な気がした。
できるだけいろいろな形で話す・書くことが大切なのか、それともできるだけいろいろな場所で話す・書くことなのかな?
あるいはただひとつの場所で、ただひとつの形でそうするべきなのかな。これは、依存することは依存していることを認めないこととほぼ同じ気がするから、あえて自覚的に依存してしまうほうが良いのかな、ということである。
だけどどうあがいても、わたしにできるのは、どんなに自由に見えるときだって常に何らかの規則に縛られていることを、薄目で、横目で、見るようにつとめることだけなんだよね。
そしてそれができたとしても、最終的にわたしは、自分の脳内でこだまし続ける言葉の奴隷なのだ。これについてはどうしても自覚的に何かをする(距離を取る)のは難しい。
自覚しようとすると増殖してしまう。見るだけでふえてゆく。わたしの頭の中はものすごく気持ち悪い合わせ鏡みたいだ。


自分の受け取る情報のうち、確実に誰か特定の人から発せられた主張、みたいなものの比率が不足していてしんどい。しんどい。しんどい。英語とかそういう主語がはっきりした言語に触れればいいんかな。わかんないよ。


日記 2019/02/20

外に出ると空気が温かった。昨日からの急な気圧の下がり方はひどいし。
こういうしんどい日によくブログを書いている気がする。


生まれた季節への拘り、愛着。わたしの場合は5月生まれで、5月が大好きだし、季節の中では春が一番好きだ。
今思い返せば、本当に幼いときには、今のような気持ちはなかった。

ではいつから5月や春を愛し、その到来を楽しみにしていたのかというと、
それはシューマンの《子供のためのアルバム》の中の一曲、《愛しい5月よ、お前はもうすぐやってくる Mai, lieber Mai, bald bist du wieder da!》に出会ったその瞬間からである。

次に弾く曲として先生からこの曲を指定された日、楽譜を買ってもらい、家のピアノに座り、まじまじとタイトルを見たそのとき、わたしは一瞬で5月のことが大好きになった。

なんてきれいな言葉なんだろう!
月の名前に「愛しい」という形容詞を付けてよいのだということを、わたしはそのとき初めて知って、衝撃を受けた。
そして、そんな形容詞を冠された5月に自分が生まれたということを、心からうれしく思ったのであった。

先生がよく話してくれた、日本のそれとは全く違う、ヨーロッパの春。
暗い冬をじっと耐えたあとに生命すべてが歓喜する春、それを精一杯思い浮かべながら練習したことをよく覚えている。
その曲はほんとうに自分の知っている5月のイメージと違いすぎて、とても難しかったということも。

こんなに大切なことなのに、わたしはまだ、ドイツでの春の訪れも、5月のことも体験できていない。
いつか知らなければいけないと思っている。


イロニーとフモール、アイロニーとユーモアのことが未だに理解できていない。
シューマンの《フモレスケ》を分析しようとしていた頃、彼にとってのフモール(ユーモア)概念をわかろうとしてジャン・パウルを読み、その全然わからなさに挫折して以来今もわかっていない。

この前、國分功一郎がテレビで、昔の笑いは嘲笑がメインだったみたいなことを言ってた。
イロニーやフモールがいつから笑いというものと近づいているのかすらわかっていない。
笑いというのも哲学の中で大きなテーマだと思うが不勉強である。

とにかくこういう一連の概念、とても理解したいのに、理解できていなくてもどかしい。
またマーラーの交響曲第4番をやるにあたって、あの曲がフモール的であることはなんとなくわかっているのだが……フモール、イロニー、その全体像がわかりきらない。


この前コンビニに行くとおでんの香りがした。
大学時代、練習を終えて、凍えるような冬の深夜にコンビニに寄ったときのことを鮮明に思い出した。
一度も食べたことない食べ物が記憶の中で存在感を持つこともあるのだ。


編み物という行為について。
すでに存在する糸を編んで何かにしてゆくという行為は、すでに存在する思考を文章にしてゆくこととかなり近いと思っている。

リズミカルであることも共通している。

これは前にもどこかで書いた気がするが、わたしは何か文章を書く際に、筆記音の出やすい筆記具か、キーボードでしか書くことができない。
その音を聞きながらでないと、どうしても次が書けないのだ。

そういう自分の筆記音を聞いているとき、それを生み出している自分が、どこか自分でないような心地がする。
編み物がうまくいっているときにもそういう感覚があって、それがわたしにとっては心地よい。
小学生の時、一日遊び疲れて、帰る前のHRで連絡帳を書いているときの、
「これは誰が書いているんだろう? 誰がわたしの手を動かしているんだろう?」 という、毎日感じていたあの懐かしい感覚。

今度、友人と一緒に編み物をすることになった。
何人かの友人が編み物を趣味にしている。
一緒に編み物をしたいな、と思える人というのは、わたしの中では、一緒に何かを書いてもいいなと思える人にほかならない。
どうしても、書くことと編むことは似ているという考えから離れられない。