「復興支援」とは何か

「復興支援コンサート」というものを、わたしはずっと昔から、あまり信用していなかった。

演奏をして、お金を集めて送るとしても、それが本当に一番良いやり方であるとはどうしても思えなかった。
それに、復興支援のための演奏会であっても、当日舞台の上で感じることはいつもと同じ。
本番はいつもどおり、ふつうに楽しい。

そんなことでいいのか?
この演奏会で舞台に乗るために払った参加費を、そのまま寄付するほうがいいんじゃないか?
頭の中のもうひとりの自分にそんなことを言われて、言い返すことができなかった。

だからこれまで、復興支援と名のついたコンサートに出演することがあっても、そのことをあまり宣伝してこなかった。


2018年、春。
ひょんなことから、所属オーケストラの復興支援コンサートの運営委員会に加わることになってしまった。

しかも、海外での公演。オケとして初めて。
あの有名なスメタナホールをおさえてある。
気鋭の作曲家に新作を委嘱し、それを引っさげてゆく。
現地のプロとも共演する。
――もちろんお金がかかりすぎて、寄付がないと成り立たない。

大丈夫なのか? と心配になる企画。
なぜ、運営に携わることにしたのか?
頼まれて、断れなかった。本当に、それ以外に理由はなかった。

その日以来、わたしの中で自分との闘いが始まった。
なぜ、「復興支援コンサート」というものをやるのか?
それも海外で。
本当に必要なのか?
まず自分に説明できるようにならなければいけなかった。

すべてが困難であった。
復興支援と言っているけれども、本当はただ海外で演奏したいだけなんじゃないのだろうか。
その欲求を叶えるために、復興支援という言葉を濫用しているのではないか。
運営の仕事をするたびに自分が嘘つきのように思えて、苦しい。
でも、引き受けた以上、やり遂げなくては……
相反する2つの感情に、板挟みになっていた。


ある日の委員会で、寄付の集め方を話し合っていたときに、クラウドファンディングを提案した。
そのときのわたしは「何もお返しできない普通の寄付を募るよりはマシだ」という程度の気持ちだった。
支援に対してリターンを渡すことで、少しでも自分の罪悪感を減らそうと思ったのだろう。

提案は採用され、わたしは、クラウドファンディングに関する仕事の大半を引き受けることになった。

薄々気づいていたことだが、クラウドファンディングのプロジェクトページには、「なぜこのプロジェクトをやるのか」をちゃんと書かなければいけない。

ああ、ついに向き合うときが来たんだなあ。
徹底的に嘘つきになるか、心からこの企画を成功させたいという気持ちになるか、それが決まるときが来たんだ。
そんなことを思いながら、プロジェクトページの用意をした。

クラウドファンディングを成功させるためのアドバイスは、インターネットに有り余るほどある。
その中で高頻度に説かれる「トップ動画の重要性」。
動画なんて、結婚式のプロフィールムービーしか作ったことがない。
でもとりあえず、作らなきゃ。

指揮や作曲やソロの先生たちにインタビューして、格好良いこと言ってもらおうか。
一緒に運営の仕事をしている夫は、幸いにもカメラが趣味だし、一眼で撮ったらちょっといい感じの映像になるかもしれない。

その提案もすんなり受け入れられ、
気づけば、梅田のドルチェ楽器の最上階が予約されていた。
なんだか、思った以上に本格的な場所でやることになったな……と思った。

夫に撮影について相談し、うちに2台あるカメラと、ほかの委員の方にお借りしたビデオとで3つの角度から撮ることになった。
そして、このために三脚を買おうと言う。
休日、カフェで構図やシナリオを話し合った。こんなに真剣に話をしたのは久しぶりだった。
なんかこの人、わたしよりやる気あるっぽいな……と思った。


撮影当日、先生方はお会いした瞬間から本当に協力的だった。
こんな、一銭にもならない撮影を了承して、予定を合わせてくださるだけで有り難いと思っていたのに、
「こんなリターンも提供できるよ」「じゃあ、私はこんなリターンを」
インタビュー撮影の前の、クラウドファンディングに関する説明の段階で、そんな会話が次々と展開されたのを聞いてなんだか卒倒しそうであった。
結果、リターンの数が当初の2倍ほどに増えることとなった。

なぜ?
なぜそんなに、復興支援コンサートの名の下で、頑張ることができるの?

わたしが幼少期からずっと抱いてきて、
インタビューの撮影前にピークに達したその疑問は……
直後のインタビューで、あっけなく解けた。

先生方に質問し、返ってくる答えを聴いていて、
わたしはこれまで「復興」の意味を取り違えていたのだと痛感し、心から恥じ入った。


綺麗事にならずにうまく伝えられるかわからないが、わたしがこのとき気づいたのは以下の二点である。
まず第一に、復興というのは、お金だけでできるものではないのだということ。
そして第二に、被災地だけではなくて、我々のほうが復興されているのだということ――

我々が支援する復興には、もちろん、被災地での物理的な環境の回復という側面もある。
けれども、それがメインではないのかもしれないな、と思ったのだ。

人間の感情の回復、あるいは、再発見という方が近いのかもしれないが、
おそらくそれこそが復興の本質的な部分であり、

悲しみ、怒り、絶望、虚しさ、恐怖、畏敬、祈り、希望、喜び、楽しみ……といった、人間の抱くことができる限りのあらゆる感情のグラデーションが、あらゆる立場の人間の中に再現され、反射し合う、
それこそが復興、あるいは復興支援という行為なのではないだろうか――


この日以来、わたしは少しずつでもいいから、復興支援コンサートの運営に関わっているということを発信していこうと決めた。
コンサートを成功させるために、できることはなんでもやろうと思えるようになった。

もし嘘つきに見えても、綺麗事だと思われても、もうそれはどうでもいい。
だってもうわたしの中でわたしは嘘つきではなく、復興支援という言葉は綺麗事ではないのだから。
それは本当に、ものすごく重要なことなのだ。

だから、この場でも宣伝させてください。


わたしの所属する京都新祝祭管弦楽団が、CAMPFIREにて上掲のプロジェクトを立ち上げています。

このオケは、一般の大学生、音大生、アマチュア奏者、一線で活躍するプロ奏者といった、いろんな立場の人間で構成されています。
今回ソリストでお呼びするトランペットの北村源三先生はすでに80歳を越えておられる。それを考えれば、立場だけでなく年齢的にも本当に幅広く……
つまり、様々な文脈を持って生きる人間たちが集まって、今回の海外公演に挑むのです。

心から、成功させたいと思っています。
日本の外でやることに、意味があると思っています。
文化や言葉の違う人たちの持つ感情のグラデーションの中に、自分の知らない色があるのかどうか?
この目で、この耳で、確かめたい。

まだ企画段階だというのに、すでに、わたしの内部が少し復興されつつあるように思います。
この、静かな復興を、できるだけ多くの人と味わいたい。
たくさんの人が、この企画に関わってくれたらと思う。

今回、復興支援のための新曲を十河陽一先生に委嘱しています。
わたしは、その作品でOboe 1stを吹かせていただく予定です。
この新曲の世界初演は、プラハ公演に先立って、京都にて来年2/10におこなわれますが、こちらの招待券もリターンの中に用意しています。

プラハで、また京都公演でも配布する特別なプログラム冊子――これは夫が作ることになったのですが、ここにお名前を載せるというリターンもあったり、

他にも、動画撮影のときに先生方が提案してくださった数々のリターン――
出張演奏や演奏指導、自筆譜の一部のコピーやオリジナル曲の作曲、そしてオケをバックにしたコンチェルトの本番など、いろいろと準備しています。

このブログを読んでくださっているあなたが、今回のプロジェクトに関わってくれて、あなただけが持つ色彩をほんの少し、一滴だけでも私たちの感情のスペクトルに加えてくださったら、私は本当に嬉しい。

どうか、ご支援をよろしくお願いします。

https://camp-fire.jp/projects/view/107384

ワインエキスパート認定バッジが届いたので、ワインとの思い出を振り返る

日本ソムリエ協会から、ワインエキスパート認定証・認定カード・認定バッジの3点セットが届きました。
合格通知はずっと前に届いていたけれど、やっぱり、ぶどうバッジを見るととても嬉しいです。


そもそも、なぜ受験することにしたんだっけ。
そう思っていろいろと記憶をたどっていたら、2016年11月23日、Instagramにこんな投稿をしていました。

ワインに興味を持ちはじめたのが、この頃なのだとわかります。

それまでもお酒を飲むのは好きだったけれど、ぶどうの品種なんて興味がなくて。
とにかく安くてそこそこ酔えたらいい、みたいな飲み方が多かったんです。

それが、この日から少しずつ変わり始めたのだと思います。


ただし、この11月頃はまだ「美味しいワインを飲みたい」というだけの気持ちだったはず。
そこから「ワインを勉強したい」と思うに至ったきっかけは、2016年12月末のヨーロッパ旅行でした。

View this post on Instagram

#weihnachtsmarkt2016 #🎄

A post shared seramayo (@seramayo) on

すでにワインに興味を持ちはじめていたので、レストランや小売店でワインを選んでみる、ということが何度もありました。
けれども、書いてある単語の意味や、エチケットの読み方が本当に全然わからなかったのです。

特にドイツワイン。
「Trocken ってどういう意味なの? 甘いのか辛いのかどっちなの???」
リースリングの辛口が大好きになった今思えば、あまりにも「ワイン初心者あるある質問」で笑えます。
だけど、当時は真剣に悩んだよなあ。

(trocken とは、英語の dry のような意味で、”Trocken”だけなら「辛口」、つまりアサヒスーパードライの「ドライ」の意だが、”Trockenbeerenauslese” と書いてある場合それは「干からびたぶどうで造られた甘口ワイン」である。こちらはドライフルーツの「ドライ」なのです)

「書いてあることの意味がわからないのが本当に嫌だ。なんとかしてわかりたい。わかって選べるようになりたい」
旅行中、ワインを見るたび――空港の免税店に至るまで、こんな気持ちでいたのをよく覚えています。


実はもうひとつ、わたしを勉強に駆り立てたものがあって、
それは、すでにワインエキスパート呼称を取得していた友人の存在でした。

彼女は大学の同級生です。
とはいえ学部は全然違い、1回生のときの教養ゼミ的なものでたまたま一緒になっただけの仲で、それ以来はただFacebookで友達であるだけという、どちらかと言えば遠い存在でした。

だけどわたしは、少し疎遠になっていた期間中も、彼女のFacebookでのワインエキスパート受験に関する投稿を読むのがとても好きでした。
まったくワインに興味のなかった時期からずっと、彼女の投稿にいつも満ちている「学ぶことが楽しくて仕方ない感じ」に大げさではなく感動を覚えていました。

そして、勇気を出して「ワインエキスパートの試験について教えてもらえませんか?」と、Messengerを彼女に送ってみたのが、2017年2月初頭。

かなり久々の連絡にもかかわらず彼女はとても親切でした。
おすすめの参考書や書籍を教えてくれたし、「絶対に大丈夫!」と言ってくれました。

自分で試験について調べて出てきた暗記事項「ボルドーの格付けシャトーの数」に面食らい、無理かも……と思っていたわたしは、彼女の言葉に背中を押され、翌日には、教えてもらった参考書を購入しました。
そしてその日から受験勉強を始め、トイレの壁がみるみるうちに白地図だらけになっていきました。

あの日からずっと、彼女はわたしの試験勉強を気にかけてくれて、応援してくれたり、共に勉強に取り組んでくれたりしました。
彼女のサポートなしでは、ワインをこんなに好きになることはできなかったと心から思います。本当にありがとう。

(彼女のブログはこちら


そして、このノート。
最初の日付は2017年2月9日。
筆記試験の勉強を始めた約一週間後から付け始めた、テイスティングノートです。

PILOT色彩雫の「山葡萄」で、今も綴り続けています。
最初のほうのページは、今読み返すと矛盾にあふれていたり、情報量がとても少なかったり、語彙があまりにも貧弱だったり……

でも、どのページも、飲んだ時の記憶を瞬時に思い出させてくれる、大切な宝物です。

「一緒に飲んだ人」「飲んだ場所」「エピソード」も書いてあります。
ワインを通じて、こんなにも人間関係が広がったのかと思うと、感無量です。

ブラインドテイスティングの練習を始めてから頻出する「◯◯の香りが取れなかった」「わからない」「不安」というネガティブな単語。
でも、確実に増えている語彙、少しそれらしくなっている文体。

勉強のためではなく楽しむために参加したワイン会にて出会った素晴らしいワインへの素直な賛辞、その表現の幅も、回を追うごとに広がっています。
テイスティングには基本的にポジティブな表現しか使いません。だからワインを勉強すると、褒めるのが上手くなってゆく――自分にも、その法則が当てはまっているようで嬉しいです。

瓶の中のインク、ずいぶん減ったなあ。
これからも減ってゆくのでしょう。
インクが減り、ノートの残りページが減り、ワインも飲んだら減る。
そのぶん、自分の心の中に降り積もってゆく何かを大切にしたいです。


とりとめのない思い出話になってしまったけれど、
このへんでまとめてみましょう。

2016年11月 ワインに興味を持つ
2016年12月 ワインを勉強したいと思い始める
2017年2月  勉強を始める
2017年8月  一次試験(筆記)合格
2017年9月  二次試験(テイスティング)不合格
2018年10月 二次試験合格

そっか、まだ2年しか経っていないのか……なんだか不思議な気持ちです。

資格取得はもちろんゴールではなく、スタート。
この2年間、ワインの広くて深い世界を感じ取って受け入れるための、本当に最低限の準備だけはできたかな、という感じ。
素晴らしいワインを飲んだときのあの感動的な瞬間に、もっともっと身を委ねるために、わたしはこれからも勉強しつづけたいです。

日記

ブログに何を書いたらいいかわからない、昔どうやって更新していたのか思い出せない。他人に見せる前提で何かを書く、という機会がここ2年ほどなかったので、キーボードを打つ音の響きもなんとなくぎくしゃくしているような気がする。


火曜日、半年ぶりに美容院に行った。自分としては3ヶ月くらいしか間があいていないと思っていたら、半年ぶりですねと言われたので驚いた。

美容院に行くということはわたしにとって非常に疲れることなので、ついつい予約を先延ばしにしてしまうのだ。
行ったあと数日間はぐったりして他の外出予定が入れられない。

これはわたしが美容院に行くのが嫌いであるということではない。むしろ、美容院にいるその時はものすごく居心地がいいと感じる。実際に、非常に落ち着くお店を選べていると思う。
それでもお店を出た瞬間、地面に崩れ落ちそうになるほど疲弊した自分がいる。

友人と会って楽しく過ごした後にも似たような感じになるので、ただ単に、人と関わるときにエネルギーを使いすぎて肉体的に疲れるのだろう。全力で楽しめているのだと前向きに捉えようかな。


で、今回は美容院に行って帰って一晩寝て、起きたら風邪を引いていて2日半ほど寝込んだ。

なんか疲れたなあ、報われないなあ、ていう毎日だね、せっかく髪型変えたのに引きこもってて誰にも気づかれるチャンスないし。

そうだ、今回は美容院を出るときに次の予約を入れさせてもらったから次はちゃんと行くと思う。えらすぎる。でもこのパターンでドタキャンしたことも過去にあるから頑張りたい。


前やってたブログをやめてから、微細な感情に気づくことができなくなっているのだろうね、今日こうして久しぶりにどうでもいい日常のこと書いていたらいろんな悲しいことが急に思い出されてとても悲しいね。

急に風が吹いたみたいにマイナスの感情が巻き上げられてくるからそれがいったい何なのか見ることすらできないし、とりあえず呆然としている。なんで生きているんだろう? なんでわたしここにいるんだろう? 久しぶりにそう感じている。

やっぱり疲れたのかな、とにかく人と接するの向いてなくて、こうして画面越しに誰か知らない人にいてもらうくらいがちょうどいいのかなあって思う。

風邪が治りきってなくて弱っているだけかな。でもこうして心臓のあたりがぎゅっとなるような苦しさを抱いている自分のほうがなぜか好きなんだ。良くないことでしょうか? わたしの認知は歪んでいますか? でも、訓練して正しい認知を身につけるほどに増してゆく喪失感にわたしは耐えられなかった。

誰かとの関係において全面的に自分を肯定するなんて一生できそうにないのに、こうしてこの場所にだったら何でも言えるのは本当に不思議、画面のちょっと奥には近かったり遠かったりする無数の他人がいるというのに自分のこの安心しきった感覚、全然意味がわからない。

結局、好きな自分でいるためにはブログ更新しつづけるしかなくて、どんな内容でも全方面に拡散してるのは醒めた頭で考えれば本当に恥ずかしいはずなんだけど、生きてゆく中で本当に力を抜ける瞬間がそれしかないんだからこうしていないと息が詰まり、わたしはだんだんと灰色になってきっと石になって、死ぬこともできないままになる。それが怖いよ。怖いことは嫌いだ。

とにかく自分にとってブログっていうのはそういう場所なので、ブログで稼いで生きていくとか遠い世界すぎてわけわからない。この記事もあらゆることについてわからないって言ってるだけになったし。でも自分のセンサー的なものが完全に死んではいないっていうのだけはわかってよかった。

前のブログやめる直前になんか本出したいなあって言ってたのも忘れてないんだけど本当に書く意欲が失せていて、というか、生活が平和になったからか知らないけれど書かなければ死ぬという精神状態を長らく得ることができなかった。

だから何もしてない、でも忘れてないし、今日は久しぶりに書かなければ死ぬと思えたのが嬉しかった。

【ワインレポ】CALERA Pinot Noir RYAN 2011

お花屋さんになりたい、というひとことを、少女のとき。
一度でも発していたとしたら、わたしの今までと今と今からは違っていましたか。

切り花はたんなる死骸。美しい死骸をあなた方がたいせつに抱えて何度もやってきた一度しかないわたしたちのたくさんの誕生日。
確実に死が近づくことに目を向けて背けるための宴に生贄が活けられるその日、あるように思える価値は死によってもたらされたのかそれともむしろあらゆることは生死と無関係だということなのか、言いたいことはそのどちらでもなくただ美しいから花を贈るのか、わたしはずっと最後。
もしかするとあなた方には言いたいことがあったのかもしれない、でも思想はすべてあなたの手とわたしの手のちょうど境目で切断されるので残るのはいつだって美しさと香りだけなのだ。

薔薇の花には死臭がある、切られてから日を増し萎れと変色が酷くなるごと、生きている薔薇と明らかに違う芳しさがそこらじゅうに充満しわたしには軽々しく近づけないような気がする、わたしは絶対にこんな香りで死ねないのだ。

もしもわたしが、お花屋さんになりたいと言うことに成功した少女であったなら、こういうふうに朽ちてゆくことができたかもしれなかった。絵本で見たような森が立ち現れる。湿った腐葉土や落ち葉の中に、クコの実やイチゴの砂糖漬けを繋いだ鮮やかで可愛らしいジュエリーが落ちている。そこにはかつての少女が確かにある、そして絶対にもういない。そんなワイン。

実家にて

約2週間ほど実家に帰省して、母と二人暮らしをしている。
もう明日には元の生活に戻る。

今回はわたしが料理を担当した。

いつも帰省といえばお盆やお正月、1泊2日くらいがほとんどなので
少し特別なものをごちそうしてもらうという感じなのだが
2週間も滞在するとなると、平日は仕事のある母のために
何もないわたしが食事を用意するのが自然であった。

ということは、わたしとしては
ふだんの生活とあまり変わることなく過ごすということ。

でも母にとって、わたしが料理をしていること自体が驚くべき光景だったようだ。
わたしは昔ほんとうに、料理というものに興味を示さなかった、と母は言う。

たしかに好きではなかった、興味がないというか
料理や食事はわたしにとり、苦しみの根源であったのだ。


幼い頃は、すでに亡くなった祖父母も、この家に一緒に住んでいた。
母は働いていたので、晩ごはんを作るのは祖母であった。
そして、母がいつも洗い物をしていたと記憶している。

祖母の料理はもちろん美味しかった、食卓は楽しい気がしていた、でも
美味しいと言わなければいけない雰囲気
自分の食欲を超えて食べないといけない空気
そういうものを感じていた……と今になっては思う。

そして、それらは作り手の祖母からではなく
母から出される無言のメッセージであった。

きっと母にとって祖母に料理をしてもらっているというのが、不本意なことだったのだと思う。
彼女はそういった意味のことを何度も口にしていた。

母は仕事なんてせずにわたしと一緒に過ごしたかったし、
わたしと一緒にゆっくり料理をしたかったのだろうと思う。
好きな料理ができず、後片付けばかりする日々に、やりきれなさも感じたことだろう。

しかしわたしは、
休日、母が料理できるようなときですらキッチンに寄り付かず
他の家族に相手をしてもらい
一緒にスーパーマーケットに行っても勝手に本のコーナーへ吸い寄せられ、
一緒に食材を見たり選んだりすることはなかった。
料理に興味がない、と映っても仕方のない行動だ。

たしかに、当時は自分でも「興味がない」としか思っていなかった。
けれど今考えればあのころ生活のすべてに染み渡っていた、
本当はずっと家にいてあげたいという母の優しさや
幼いわたしを見てもらっているという、祖父母にたいする母の負い目、
そういったものが当時のわたしにはものすごく堪えたのであり、
それが最も顕著だったのが、家族で囲む夕飯の食卓であった。

そして、わたしは子供の頃は本当に少食で、
とにかく食べれば褒められる、という空気の中で
食べることはイコール頑張ることであって、けっして楽しいことではなかった。

総じて、
食卓につく時間はわたしにとって、完全に義務の時間であった。


今の自分なら、理解できそうなことばかりだけれど
あのころは本当に訳がわからなかった。
じゅうぶんに幸せだと感じているのに
「こんなはずじゃないのに」という空気があり続ける日々、
「本当はもっとしてあげたい」なんてどうでもよくて
今のことに目を向けてほしかった。

そんなことは母もわかっていたことと思う、
わかっていても言ってしまう気持ちもわかるし、そして
今わかることと当時つらかったことは別で、とはいえ
それによって誰かを責める気持ちなどはない。


今回、平日はわたしが主に料理をしたが
休日、母といっしょにキッチンに立つことができた。
近くに住んでいる叔父の家族にごちそうするためだった。
これはわたしにとって新鮮で感動的なできごとだった。

オイルサーディンとエビのカナッペ 
ひとくちトマトファルシ 
マッシュルームのレバーペースト詰め 
ラディッシュの薔薇
きのこのクリームスープ 
カニクリームコロッケがうまくできず急遽つくったグラタン……

いつもより丁寧な料理を母と作ったあの数時間じゅうずっと
「わたしはなにかを克服している」と感じ続けていて
そして、今後もそれを克服したあとの世界が続いてゆくのだ、という予感があった。

実家でごはんを食べるときいつも喉につかえていた重いものが
きっともうなくなってゆくような気がした。
絶対にまた母と一緒に料理したいと思った。

母がずっとわたしに求めていたのはこういう時間だったのかもしれない。
どうして今までできなかったのかな、と思う。
けれど、今できてよかったのだ。

「本当はもっとしてあげたかった」ではなく、今ある幸せに目を向けるのは
本当に、ほんとうに難しいことなんだね。


祖母が死んだ歳に、母が近づいてゆく。
もちろんずっと元気でいてほしいけれど人は必ず死ぬ。
身近な誰かが死んだときに後悔しないことなんて不可能かもしれない、
かならず少しは「あのとき、もっと…」と思ってしまうものだ。

それでもできるだけ後悔したくないから、今できることをたくさんしたい。
その「今できること」の中でも、
考えつく限り最も重要なことを成し遂げることができた。
そんな帰省だった。

Tchaikovsky Symphony No. 4

今度チャイコフスキーの交響曲第4番に乗せてもらうことになり、
曲について調べていた。
パトロンであるメック夫人に宛てた書簡に、作曲家本人による曲の構想の説明が残っているという、レアな作品。

まず、曲について説明する部分のはじめに、次のような記述がある。

交響曲全体の核となる示導楽想、『運命』。
われわれが幸福に向かおうとしてもその実現を阻む、運命の力…

Интродукция есть зерно всей симфонии, безусловно главная мысль. Это фатум, это та роковая сила, которая мешает порыву к счастью дойти до цели, которая ревниво стережет, …

*和訳https://www.nhkso.or.jp/library/sampleclip/
*原文http://www.tchaikov.ru/1878-101.html
*1878年3月1日(ロシア歴2月17日)付、N. F. von Meckに宛てた書簡。ロシア語は1mmもわからないけれど、たぶんこの箇所かなというところを引いてみた

ひとまず、この曲は幸福へと向かう力とそれを阻む力、という二大勢力で成り立っていることが明らかになる。
困難を乗り越えて幸福へ……という感じなのでしょうか。

その後、各楽章について綴られているのだが
その中でも第4楽章に関する表現が特に目に止まった。

自分のなかに喜びを見出せないのなら、周りを見渡し、民衆のなかに入りなさい。
彼らはなんと楽しげなんだろう。民衆のお祭りのイメージ。
再び運命の力でわれに返らされても、誰もあなたの悲哀には気づかない。
この世の全てが悲しいなどと言ってはいけない。
他人の喜びのなかで喜びなさい。そうすれば生き続けることができる。

Если ты в самом себе не находишь мотивов для радостей, смотри на других людей. Ступай в народ. Смотри, как он умеет веселиться, отдаваясь безраздельно радостным чувствам. Картина праздничного народного веселья. Едва ты успел забыть себя и увлечься зрелищем чужих радостей, как неугомонный фатум опять является и напоминает о себе. Но другим до тебя нет дела. Они даже не обернулись, не взглянули на тебя и не заметили, что ты одинок и грустен. О, как им весело! как они счастливы, что в них все чувства непосредственны и просты. Пеняй на себя и не говори, что все на свете грустно. Есть простые, но сильные радости. Веселись чужим весельем. Жить все-таки можно.

わたしが一番おもしろいと思ったのは
「誰もあなたの悲哀には気づかない」というところ。
へえ、そこが大事なんだ。という感じがして……

しかも、誰も自分の悲しみに気づかないという事態をポジティブに捉えている。

この4楽章についての段落全体に書いてあるようなことには共感できる。
こういうことって何度か経験したことあるもの。
周りの人々がすごく楽しそうだから楽しい気持ちになってくる。簡単に言えばそういうことなのだと思う。

でも、このような経験がなぜ、どういう仕組みで起こるか?
というのはそもそも考えたことがなかったなあ。

しかも「誰もあなたの悲哀には気づかない」ということがポイントだとは
夢にも思わなかった。
他人が自分の感情に気づくかどうかを考えたことってあんまりないなあ。

そして、「他人の喜びのなかで喜びなさい」なんだなあ。「他人の喜び」じゃなくて(原文でもそういうニュアンスだと信じて書く…)

それってどういう感じなんだろう?
周りの人々が放出している感情に包まれて、自分も浸ってゆく…というイメージかな?
自分の感情に浸ることは簡単だけど、他人の感情に身を委ねるのは案外難しいとわたしは思う。

チャイコフスキーってすごく内面的な表現をする作曲家だと思うけれど
ひとりで内面に閉じこもっているのとは、違う感じ。
彼の曲は、少なくとも独り言ではないという印象がある。

この、4楽章についての文章を読む限りにおいても
前提として、自分の感情と他人の感情との間に交流可能性があるというか…
うまく言い表せないけれど。

ロマン派に属する作曲家は皆、作品に感情を表現していると言われるが、
そのときの自他の境界のあり方がそれぞれに異なる気がして面白い。

この4楽章については、
「ものすごく壮大な『ちいさな白樺いっぽん』だなあ」
みたいなごく浅い感想しか抱いてなかったけれど笑
今回、作曲家の意図を知り、もう一度聴き直してみて
この楽章を演奏するのが楽しみになっている。

(もともと2・3楽章が好き。
3楽章はお酒に酔いかけてるときの感じとか、眠りかけに明滅するイメージらしく、なるほどそのものだ! と思った)

それにしてもこのBarenboim/CSOの演奏迫力すごくて笑ってしまう。
youtubeのコメントもなんだか盛り上がっていた……

しばらく本番がなかったのでのんびりしていたけれど、
ぼちぼちリードを用意しはじめなくては。
はあ、がんばろう。

【ワイン試飲会】Domaine Roulot et Domaine des Lambrays

ブログの最初の記事として何を書こうか悩んで、数日経ってしまいました。

11/1(木)にエノテカのイベント「有名ブルゴーニュ・ドメーヌ 夢の饗宴」に参加してきたので、
まずは投稿の練習がてら、その記録をつけてみます。

▲すばらしい輝き

今回のイベントには、
Domaine RoulotよりJean-Marc Roulot氏
Domaine des LambraysよりThierry Brouin氏
同じくLambraysよりBoris Champy氏
のお三方がお越しになっていました。

RoulotとLambraysの計6つのワインを試飲しながら、ドメーヌでのワイン造りのことや、それぞれのワインの畑やヴィンテージのことを教えていただきます。
穏やかに和やかに話しておられる中にも、ぶどう・畑・ドメーヌの歴史etc. ワインに関わるあらゆるものに対する思い入れがひしひしと。

はあ……フランス語、勉強し直したいなあ。
彼らの思いを、できることなら原語で感じてみたかったです。
このブログでは、せめて固有名詞に関しては、原語表記を心がけるかなあ(いつまで続くだろう?)

ではこれ以下、テイスティング(と、反省会)のメモ。


TASTING NOTE


1. Domaine Roulot MEURSAULT 2011 

・畑はclos de la baronne
・2011年はクラシックな、安定したヴィンテージ
・¥10,000

非常に輝きのある外観。
ミネラル、柑橘からはじまって、フレッシュなりんごや白桃にあるような、少し控えめな蜜のニュアンス。上方向に広がるきらきらとした香りが、非常に上品に表現されている。
アタックには落ち着いた丸みがあって、そこに酸が気品を与えている。余韻も苦味というよりは酸がしっかり伸びる。村名ではあるけれど、すごく美味しい。


2. Domaine Roulot MEURSAULT LES LUCHETS 2016

・2016年は霜害によって収穫量が非常に減少したが、その後の気候は温暖でぶどうがよく成熟、仕上がったワインの出来は良い
・¥14,000

1に比べると粘性がしっかりとある。
香りにおいて感じられるのもアプリコットなどの黄色いフルーツで、しかも少し熟れ気味のものに近い。
アタックには甘さや樹脂のニュアンスを強めに感じたが、時間が経つにつれて酸が増してくるように思った。酸の質は少し鋭い。


3. Domaine Roulot MEURSAULT 1ER CRU CLOS DES BOUCHERES 2016

・BoucheresはRoulotのモノポール
・2と同様に2016年、霜害で収穫量が少なかったが、その後の気候は温暖だったので、造られたワインの出来は良い
・¥30,000

外観については2のワインとかなり似ている。
香りには2に比べてミネラリーで爽やかな要素が見え、甘やかというよりはコク深い印象。
味わいにも、わたしの思う「シャルドネ感」がより強い。すなわちミネラル系のコクを伴った苦味の印象。それを酸が支えている感じ。2ではじめに感じられた樹脂感とアルコール感があとから来る。注がれるタイミングの問題もある?


4. Domaine des Lambrays ROSE DU CLOS 2017

・Clos des Lambrays になれなかったぶどうたちがロゼに使われるので、その年のぶどうの成熟度によって造ったり造らなかったりする
・¥4,000

少しオレンジがかった薄いピンク。おそらくこれはチェリーピンクと表現?
イチゴやラズベリーを煮詰めて、それを薄めた、というイメージ。トマトのニュアンスも。
酸とミネラルが強く、木の実や樹液のような印象もあり、とにかく味わいの要素が多く美味しいロゼという印象。


5. Domaine des Lambrays CLOS DES LAMBRAYS GRAND CRU 2016 (¥40,000)

・2016年、clos des lambraysにおいては霜害は少なかった。フィネス・優しいタンニンがLambraysらしいヴィンテージ
・¥40,000

少し濃いラズベリーレッド、輝きがあって粘性は中程度。
香りがとても華やか、赤い果実、落ち葉やスパイスのニュアンス、わたしは女性的な印象を抱いた。
ふくよかなアタックにたくさんの要素が感じられ、その直後にきれいな酸が到来することで香りから想像される優雅さを味わいにも与えている。余韻には果実味と塩味。今飲んでも美味しいけれど、まだまだ10年くらい待てそう。


6. Domaine des Lambrays CLOS DES LAMBRAYS GRAND CRU 2014 (¥36,000)

・2014年はクラシックでブルゴーニュらしさがある年、つまり果実味・ミネラル・スパイスのバランスが良好なヴィンテージ
・¥36,000

2016年に比べ、少しだけ色が薄めでオレンジがかる。
ほんの少し煮詰めた赤い軽いフルーツの印象のあと、クローヴ、シナモン、アニス系のスパイシーな香り。
味わいにはシャープな酸味と美味しい青みがあり2016よりもすっきりしていて、同じ女性的といっても少女のイメージ。余韻にコクと酸味。時間が経つとアルコール感が強まってくる。これもたぶん、飲むにはまだ早いのかな、という気がした。


(7. 嬉しいおまけ) BODEGA CHACRA CHARDONNAY PATAGONIA 2017

・Jean-Marc Roulot氏がネゴシアンの形で関わっている
・急遽テイスティングリストに加わった、できたばかりのワイン
・Meursaultでの使用樽を運んで使っている

「焼いたりんごにシナモンをかけたものが乗ったデニッシュ」そのものの、香ばしくて丸い食欲をそそる香り。
味わいにも丸くて豊かな印象があり、とにかく食欲を掻き立てるワインであった。


全体を通して

▲全部美味しいって相当幸せ

この7つのワイン、全て美味しく思えたが、その中でもいちばん好きだったのは最初に飲んだMeursault 2011。
一緒に参加した友人が「2011は美味しい! 2011大好き!」を連呼していたので、多少は影響されたのかもしれません笑
でも、Chardonnayの持つ苦味がそんなに好きではないわたしにとって、「余韻に苦味よりも美しい酸が残る」のが本当に美味しくて。

ワインにおける酸の表現で、「伸びる酸」というものがあります。
ワインを勉強する中、テイスティングコメントとしてよく見かけたけれど、実はあまりピンと来ていませんでした。
でも今回、はじめて実感できたんです。
「これが『伸びる酸』だ!本当に伸びるとしか表現できない!!」って……感涙を覚えた……大げさではなく!
知識として学んだことを、身をもって体験・実感できるって、何の分野においてもものすごく快感だなあと思います。


反省会♡ @Mandou

▲トリッパの煮込み

今回のイベントには、友人と2人で参加していました。
「ちょっと試してみる」という形でワインを飲むときは、誰かといっしょにやったほうが楽しいし実りがあると感じています。
ワインはわたしにとって嗜好品であり、結局は自分の好みが大事なのだけれど、実はその自分の好みというのを、ひとりでは決して発見できないのです。
共に勉強してくれるひとが存在するのは幸いなこと。ありがとう。

ということで、イベント後の反省会(?)
この夜は北新地のわいんばるMandouにお邪魔。

ワインを少量ずつ3種類選んで飲めるメニューがあるので、それを注文。
シニアワインエキスパートを目指す友人はこのときもブラインドで出してもらっていて、本当に尊敬できる……と思いました。
彼女とは大学で出会った仲で、いつかWSETを一緒に受けたいね、と話していて…でもわたしは今年ワインエキスパートを取ったばかりなので、しばらく試験からは離れて、のびのび美味しいお酒を飲む予定。ビールとか日本酒とかウイスキーとかも大好きなので。

長々と書いてしまった気がする、ブログの長さ感覚がわかりません。
読みやすいデザインにするのは追い追いになりそう……
ぼちぼち、がんばりましょうね。

ではでは。

Frei aber einsam

Sonate F.A.E.  Scherzo (Vn: Jascha Heifetz)

なにかに出会ったときのこと、そこで感じた気持ちを、
死ぬまでずっと心の中にとどめていたって、困ることはないのに。
ついこうして、誰かに読んでもらうことを期待して書き置くのは、どうしてなのか自分でも不思議だ。


タイトルは、『F. A. E. ソナタ』から取った。

ロベルト・シューマン、アルベルト・ディートリヒ、ヨハネス・ブラームスの3人が
共通の友人であるヴァイオリニストのヨーゼフ・ヨアヒムのため、1853年に作曲したヴァイオリンソナタである。

F. A. E. とは “Frei aber einsam”(自由に、しかし孤独に)の頭文字で、
かつ、それぞれがイタリア音名のファ・ラ・ミに対応しており
この音進行が曲全体をとおしてのモチーフとなっている。

“Frei aber einsam” は、ヨアヒムのモットーである。
ヨアヒムは1831年に当時のハンガリーに生まれ、1907年にこの世を去るまで、生涯のほとんどをドイツで過ごした。

日本に生まれ、いまのところずっと日本に住んでいるわたしは、
ずっと、自由にありたいと思って生きてきたし
孤独でありたいとも、強く願ってきたと思う。

では、ヨアヒムに共感できるのかといえば、そうではない。
“aber” という接続の仕方がよく理解できない。

長らく、わたしには「孤独でなければ自由でない」という思いが強く、
最近ようやく、F. A. E.をひとつながりのものとして
つまり「自由」と「孤独」を、”aber”でつなぐことのできるペアとして
頭では捉えることができるようになった気はする……けれど、
そこで起こることが、かつての自由の喪失でないのかどうか明らかではなく
この “aber” を受け入れることによって、手の中にある宝物がいつのまにか変質してゆくのではないかと、とても不安になる。

と、ここまで書いて、”aber” を辞書で引くと
「しかし」のほかに「ただし」という表現があった。

ヨアヒムがどういうニュアンスでこの接続詞を用いたのかわからないが
「自由に、しかし孤独に」だけでなく「自由に、ただし孤独に」という解釈の可能性を得てわたしは、
少しだけこの言葉に近づけるかもしれないという予感を、はじめて抱いている。

ちなみに、F. A. E. ソナタのScherzo楽章を作ったブラームスによる
交響曲第3番冒頭の F-A(s)-F の音列には
“Frei aber froh” の意味が織り込まれているという。
“froh” とは うれしい、たのしい…といった意。

哲学的な定義や論争を追いかけるのは得意ではないけれど
こうしたちょっとしたエピソードを聞くたびに
「自由」に対する興味はどこまでも高まり、
それが持つ深みや幅に対して、畏敬の念とも呼べる感情が深まり、
どんなものかすらわからないにもかかわらず、強い憧れや懐かしさを抱く――


ほんとうはこのページでわたし自身のもっと具体的なことを説明するべきなのだろうと思い
いろいろ書いてはみたけれど、あまりうまくできなかった。

オーケストラでオーボエを演奏していて
本を読むのが好きで、どちらかといえば文体で選ぶ派、
上に出てきたR. シューマンのことを少し研究していたことがあり(頓挫中)
最近はワインや食を通して地理や歴史、地学や化学などを学び直している。

詳しいことは、記事が少しずつ増えていくに従って、ぼんやりと見えるようになればいいかな。

書きたいと思ったものだけを書くという形で、明確なジャンルもなく、とりとめのないものになるだろうと思う。
できるかぎり、居心地の良い場をつくれたらいいな。
どうぞお付き合い、よろしくお願いします。

        seramayo 拝