町田康『スピンクの笑顔』

スピンクシリーズの最終巻。

このシリーズは、スタンダードプードルのスピンクによる一人称で語られる。
スピンクは犬なので自分で文字を書くことはできない。
そこで、主人公・ポチ(=町田康?)の脳に直接語りかけることによってこのシリーズを執筆しているのだ。

スピンクという犬は実際に町田康と共に暮らしていて、2017年6月27日にこの世を去った。


▼町田康による鎮魂歌もある。

本の最後に語り手自身が亡くなってしまう、そしてそれが現実のことであるというのをわたしは読む前に知っていた。
その上でこれを読み始めるのはやはりつらい。

そういうわけで、買って以来なかなか手を付けられず積んであったのだが、ようやく今月読むことができた。


これまでのスピンクシリーズ(『スピンク日記』『スピンク合財帳』『スピンクの壺』)を通して、わたしたち読者が長く親しんできたスピンクのあの文体。

最終章はついに、それではない、別の語り口で綴られる。
その口調は、取り乱すことなく、優しく丁寧であり、それでいてそこはかとなく寂しく、スピンクへの気持ちが言葉の端々に滲み出るようなもので、わたしはどうがんばっても泣くのを堪えられなかった。


誰かの死に際してわたしたちには大きな悲しみが訪れる。
それは死者自身に対してではなく、遺された自分や誰かに向けられた悲しみだ。
親しい者の死自体ではなく、それによってもたらされた、自分たちのこの現実が悲しいのだ。

そしてその悲しみは、いつも穴の形をしている。
誰か近い人が死んだとき、自分の身体や、自分の部屋や、見慣れた景色に穴が開くのをわたしは感じる。
昨日まであったものが今日はそこにない、そういう種類の穴。

「スピンクがいなくなって、家の中が静かです」
帯に採用されたこの一文が、それをいちばんよく表している。


今回スピンクという、一度も直接会ったことのない犬が死んで、久しぶりにその穴が自分の真ん中にぽっかりと現れた。
そういう穴は、誰かが死んだら必ずいつもあく。
けれども、それを通して自分の中に吹き込んでくる風の温度や質感は、不思議なことに死者によって異なる。
この本の読後わたしの中には、驚くほど穏やかなパステルカラーの風が吹いた。


死者に花を手向けたくなる気持ちが、自然に生じたのははじめてのことだった。
まっすぐに立つ、茎の細い、一輪の黄色い野花がいい。
あのピンク色の耳と飄々とした性格に、それがとても似合う気がした。


▼参考:その他のスピンクシリーズ

C/Sを集めるの難しすぎない?

幼い頃、母によく連れて行ってもらった喫茶店は、その時々・その人その人に合わせて様々なカップで珈琲を出してくれる場所だった。

注文したものが届くまでの間、カウンターの奥や客席と通路を仕切る棚に並ぶ色とりどりのカップを眺めては「今日はどれが好き?」と話す。
珈琲がテーブルに到着したら、「今日はわたしこんな感じか、嬉しい」「そっちも素敵だね」と、自分と相手に選ばれたそれぞれのカップ&ソーサーを愛でる。

母と過ごしたそんな時間を、わたしはとても幸せな思い出として覚えている。


そういえば母は昔から、自分がもし喫茶店を開くとしたらどんなお店にしたいか、というプランをしばしば語っていた。
お店の真ん中に大きな花瓶があって、いつもきれいな生花が生けてある店――と言っていたと思う。

母のそんな想像力をいつも尊敬していた。わたしは、現実にありそうにないことについて、何かを想像することがとても苦手なのだ。


でも今わたしは本当に喫茶店的なものを実現しようとしている……
なんとしてでも想像しなければいけなくなっているのだ。

こんな日が来るとは、夢にも思ってもみなかったなあ。


まあ、いきなりお店の空間全体を想像してみるなんてことはわたしにはできそうもない。
ということで、まずはカップ&ソーサーを集めることにした。
手元にそのものがある、という状態を得て、そこから想像を広げていこうという作戦だ。

具体的な、統一的なイメージはまだ無くとも、食器や調度品にはこだわりたいとは思う。
こだわるということはお金がかかる。だから少しずつ地道に集めてゆく。
もしお店なんてできなくても、C/Sだったら家で使うこともできる――という逃げでもあるけれど。


そう考えていたら年も開け、さあひとつ何か買おう、どれにしようかな? と物色しはじめて、割とすぐに問題にぶつかった。
それはカップの「容量」「かたち」の問題。

同じ食器ブランドのC/Sで揃えるのなら、この2つはあまり気にならないのだろう。
でも、いろいろな窯から集めようとするとそうはいかない。

どんな窯も、当たり前だけど、いろいろな大きさや形のC/Sを取り揃えている。
そこから選びだしたすべてのカップができるだけ同じ形、同じ容量であってほしいのだが、厳密に同じにするのは絶対に無理!

ワインを勉強し、グラスを使い分けるうちに「器の大切さ」が身に染みてわかった。
それぞれのカップの飲み口の厚さ・角度が違えば、香りや味にも当然影響があり、それは思ったよりも大きい。
おそらく見た目も重要で、色が違うだけで香りも味も変わるのではないだろうか。

中身の珈琲をできるだけ同じ味で飲んでもらいたいという気持ちと、いろんな食器を楽しんでほしい、という気持ち。
バランスをとるのはとても難しいことなんだな……

わたしとしては、中身の珈琲が毎回同じように美味しいことを最優先するよりもむしろ、毎回違うことの愉しみを味わってほしいなあと考えている。
まるでお味噌汁のように、少しずつ違うからいつ飲んでも美味しいという現象を大切にしたいと思う。

だから、いろいろな食器を取り揃えるというアイディアは変えないつもり。
だけど、その中で最善を尽くしたいという思いは当然ある。
美味しい豆を美味しく焙煎してもらって美味しく挽いて美味しく淹れたのに、最後の器のチョイスによって美味しくなくなってしまったら嫌だもんなあ。


今、具体的に悩んでいること――
HERENDのC/Sで飲み物が出てくるお店って素敵だと思うのだけれど、
あの波型の飲み口の形が、味にどう影響するのかが気になって手が出せないでいる。

あと、この形↑のカップで珈琲飲んでも美味しいのかどうか?

ちょっと調べてみたら、ユーロクラシクスさんが神がかった一覧ページを公開されていました(感謝)
http://euroclassics-ginza.com/herend_shape.html
これを見る限りコーヒーC/S(707)または兼用C/S(730)が良いのかなあ。


考えることが多い(T_T)

ひとつめを買うのがこんなに大変だなんて。いや、ひとつめを買ってしまえばあとは楽なのかなあ?

決して安い買い物ではないから、慎重になってしまうね。
早く、C/S沼に嵌まりたい……!

【珈琲豆レポ】〈グアテマラ〉エル・インヘルト ウーノ レセルバ

先週末に珈琲豆を買ってきて、おうちで飲んでみたよ。
年始の「やりたいことリスト」での宣言どおり、Blog記事にまとめてみます。


Detail

・商品名:〈グアテマラ〉エル・インヘルト ウーノ レセルバ
・購入店:キョーワズ珈琲 大丸梅田店
・原産国:グアテマラ
・地域:ウエウエテナンゴ地域
・畑の標高:1,180m
・農園主:アギーレ氏
・品種:ブルボン種
・製法:ウォッシュド
・焙煎:(おそらく)中煎り
・お店による説明:完熟したチェリーだけを収穫し、美しい湧き水で処理された豆が持つ深いコクと、上品でなめらかな酸味にブルボン種特有の強い甘みが加わり、 香り高いワインのような味わいが後口に広がります。是非ご賞味ください。

[引用元]
https://kyowas.co.jp/farm_guatemala_elinjerto_1
https://kyowas-kitayama-online.com/?pid=48846506


Tasting Note

▷ 珈琲の正式なテイスティング法ではなく、普通に飲むために淹れて感じたことのメモです
▷ ハンドドリップ(フィルター:KONO 名門 MDK21)
▷ 26(10+8+8)g、3杯分
▷ WEDGWOOD 「リー」型のカップ

外観
・赤みか黄みのどちらかに寄っている印象はない。輝きがある。

香り
・豆を挽く時から実際にカップで味わう香りに至るまで、青みがかった香ばしさが印象的。
・青みといっても野菜に近いわけではなくて、墨を磨るときの香りに近い。
・香りの印象は、上方に長く伸びる「シュッとした」感じ。

味わい
・アタックはまろやかで、軟水の少しぬるっとした感触を楽しめる。
・密度が少し薄い印象(お湯の量が多かったか?)
・酸味は中程度にあり、カカオ分の高いチョコレートのような爽やかな甘酸っぱさ。
・舌の上には少しだけざらっとしたコクが残る。また、余韻にもコクとわずかな苦味が残る。しかしそれらは全体のバランスを損なわず、密かにアクセントとなる程度である。
・余韻が長い。

全体の印象
・「気品のある」「上品な」「高級な」という感じ。
・要素が多い。濃いわけではなく、バランスが良い。
・和服を着た中性的な男性のイメージ。
・水墨画の中で少しだけ炭が濃い部分。
・シュッとしている。

マリアージュ
・朝食には合わなかった。珈琲のほうが要素が多く繊細で複雑なので、料理が負けてしまう。
・チョコレート(Sprüngli の Grand Cru Chocolate Trinitario)に合わせてみたが、今度はチョコレートに比べて珈琲の甘みが少なすぎて物足りない。

その他メモ
・Kalitaのドリッパーではやはり味わいの各要素が減って全体が丸みを帯びてしまい、もったいない。


この珈琲はお店の説明通り余韻が美しくて感激でしたが、何かと合わせるのがほんとうに難しいという印象。
とはいえ珈琲と何かのマリアージュは、本当に最近意識しはじめたばかり。
知識と経験を積み、いつか、この長い余韻にちゃんと噛み合う食べ物を発見したいなあ。

今後も、新たな豆を買ったら記事にします。

もしもお詳しい方がお読みになってましたら、テイスティング方法・言語表現・ノートのとり方その他なんでも、アドバイスお願いしますm(_ _)m

たとえば、甘み・酸味・苦味を5段階評価、みたいにしたほうがいいのかなあ。
評価項目、メモする項目など、少しずつ改良してゆきたい。

【おうち】スマートプラグを導入した

我が家は現在、リビング炬燵生活をしている。
炬燵というのは、他のあらゆる暖房器具に比べて、電源を切り忘れて外出したり就寝してしまうことが本当に多い。


どうにかしてこれを防げないか……注意力を上げるしかないのか……いや、それはちょっと。
ずっと考えては、行動に移さない日々だったが、ついに昨日インターネットにて解決策を探ることにした。


はじめ、プログラム付きコンセントタイマー?みたいなのがいいのかな? と思うに至り、Amazonとか楽天で探してみた。
「朝◯時にON」「夜△時にOFF」と設定し、就寝時の切り忘れを防ぐとともに朝も自動で暖めておくにはそれで十分。
でも、それでは外出時の切り忘れを防ぐことができない。


そうやって悩んでいたとき、いきなり関連商品として表示されたスマートプラグ。
これ! これだよ! わたしが求めていたのは。

関連商品の機能、すごい。ありがとうAmazon……
即購入して本日もう到着。
さっそく開封した。

/ コンニチハ!\

小さな箱にぎっしりつまってました。デザインもシンプルで良いなあ。
早速、説明書に従って設定してみる。
Merossというアプリで管理するらしい。

手元スイッチは常に適温でONにしておき、すべてをコンセントのON/OFFで操作するかたち。
IFTTT連携できるのも非常にありがたい。


そして、以下のようなことができるようになったよ!


・朝◯時にON(コンセントタイマーでもできる)
・夜△時にOFF(同上)
・家から離れたら自動OFF(IFTTT連携)
・家に近づいたら自動ON(同上)
・外出先から好きなときにON/OFF
・ONせずに炬燵に入ってしまってスイッチが遠くてもそのままスマホからON
・炬燵に入っていて、消したいって思ったらそのままスマホからOFF


こんなにも便利になる。
しかもすごく安い。


思わぬ効能(?)としてですね、これを導入したことにより、スマートスピーカーがほしくなってしまいました。
スマートスピーカー、絶対にほしくならないという自信があったのにな……
とてもほしい、悔しい……
だってスマートスピーカーあったら↑の下2つは手元にスマホがなくても可能になるんだよ?
どんどん動かない人間になりそうですが、いいんですそれで。


あとはスマートリモコン、これは前からほしかったけど本格的にほしくなってきたよね。
スマートプラグは、コンセントを入れたらONになるタイプの家電にしか使えないので、シーンも限られるのだ。


この快適さを他の家電にも拡げたい。拡げたすぎる。


そこでスマートリモコンなら、赤外線リモコンで動かすタイプの家電にも対応できるんだもんね……
今のところ機能的にもデザイン的にもNature Remo 一択かなあ。


何かがほしいときってね、
買ったときのことを事細かに妄想した結果、更にそれがほしくなって苦しむという自虐的な時間が必ず訪れますけれども。
今、その時がやってきたようだ……

▼スマートリモコンでやりたいこと(Nature Remo想定)。
・多すぎるリモコンを減らして部屋をすっきりさせたい
・外出先からエアコンをONしたい
・部屋温度が一定以上・以下になったら自動でエアコンつけたい
・外出時に複数の家電の電源OFFしたい
・食事のときに照明の色を変えると同時に食事向きの音楽を流したい

▼スマートスピーカーでやりたいこと
<リビング編>
・座ったままであらゆるものをON/OFFしたい
・好きなときに好きな音楽をすぐ聴きたい(SpotifyとつなげるならGoogle Homeなんですか?)
・食事のときに照明の色を変えると同時に食事向きの音楽を流すのも、声だけでやりたい
<寝室編>
・起きるときに朝の音楽が流れるようにしたい(寝室だけでなくリビングのほうでも流してほしい)
・眠る前に音楽かけてほしい
・眠る直前に思いついたことをメモしておいて、翌日の朝教えてほしい


昨日までは「別に、なくても全然大丈夫でしょ」程度のものが、
今は「確かになくても生きていける。でもあったらめちゃくちゃいいんだろうな…………!」くらいのほしさになってしまっているの怖い。


気になることとしては、オーディオ関連機器について、赤外線リモコンが角度によって効きにくくなるような収納をしていること。
Nature Remo 買ったとして赤外線ちゃんと届くかちょっと不安。


ていうかそもそも、自分の家のオーディオ機器がどういう仕組みになってるのか、わたしいまいち把握できていなくてですね…夫が全部やってくれて、彼にはこだわりもあるし。
要プレゼンです。


どうしよう。
2019年も、出費ばかりかさむ。
他にもほしいもの山ほどあるのに、また増えてしまったなあ。


生きているから仕方ないですよね……!


▼ 所属オケのクラウドファンディングですが、
 目標を大きく上回ってプロジェクト終了することができました!
 皆様のおかげです、本当にありがとうございました。

わたしが眠るときの話

どこかに逃亡したいと思うのだけれど、どこから、そして何から逃げたいのかは全然わかっていないので、どこに向かって走ればよいのかわからず、二歩や三歩どちらかに歩いてみたとしても、ずっとずっとまとわりついてくる何かの影に、途方に暮れ、絶望し、体力を奪われ、結果としていつも自らの中心へ倒れ込んでしまう。


寒いときも、暑いときも、わたしは内側に縮まり込んでしか眠れない。


布団から顔を出して目をつむっていると、何かが覗き込んでくる。
背中側に少しでも空間があると、何かがぴっとり寄り添うように忍び込んでくる。


暗闇は毎夜よそよそしく、自分の皮膚や毛髪がそれとの境界線になることが怖い。
大好きな縫いぐるみのことも、布団の外に出すことができない。
ただの怖がりなのかもしれない、でも。


どうか、わたしの身体に蓋をしてください。
「何か」ではないもの、既知のものに触れていたいと強く思う。


しかしいったい、既知のものとはなんだ?
自分自身ではなく、しかし親しみのあるものだろうか?
そんなものはこの世界に存在するのだろうか。


おそらくわたしは決定的に、ずれている。
自分というものの輪郭が、眼鏡を外した世界のように、何重にもぼやけるようにずれている。


皮膚の内側にさえ他者が満ちみちており、だからずっと何者かがまとわりついてくるのだろう。
本当に、どこにも逃げる場所がない。
そして、世界の何と接してもそれは他者で、そして同時にわたし自身である気がする。
この感覚がなくならない限り、「既知のもの」が存在することはできないのではないか。


あなたにとっても、あなたの手は既知ではないでしょう?


世界は自分の手のようなもので埋め尽くされ、それはわたしの体内にもめり込んでくる。
「そうでなかったときはあるのか?」と問う声がする。
確かにあったような気がするのだ。でも忘れてしまった。


縫いぐるみを背中にくっつける。
次第に、縫いぐるみまでが自分になる。
布団で自分をぐるぐる巻きにする。
次第に、布団までが自分になる。
壁と背中を密着させる。
壁までが自分になってしまったら、次はどうすれば良い?
もしも人間をくっつけたら、いったいどうなってしまうのだろう。


毎日、眠るのが怖い。
昨日も怖かった。一昨日も。
毎晩大量にお酒や薬を飲んで酩酊し、知らぬ間に眠りに落ちればきっと解決する。
けれどもそれは望まれていない。
では、何が望まれているというのだろう?


何もわからないまま、少しずつ真ん中へと縮まってゆく。
あらゆる場所に舞う糸くず、あれはわたしであるけれどわたしではない。
だんだんと、何本かが固まってフェルトボールみたいになる。
そうなると、もう浮かぶことはできない。


幼い頃は、窓からの光にきらきらする糸くずを見るのが好きだった。
温かい陽光に包まれて、まるで自分も宙に舞っているような心地だった。
あれは、わたしもまだそちらに近かったからこそ、得られた感覚なのだろうか。
もう体験することのない浮遊感なのだろうか。
どうすれば、糸くずに戻れるのだろう。
そんなことばかり考えている。

日記 2019/01/08

駅前のフルーツ屋さんにいて働いている人は、大体いつも駅前のフルーツ屋さんにいるのだなとふと思う。
そして花屋さんにいる人はいつも花屋さんにいるのだ。
どこか一定の場所に留まる、ということについて考えていたら電車が近づいて止まる音がする。
電車に乗って一定の場所に留まりにゆく人々の波。
留まったり留まりに行ったりして、気づいたら解体されているのが生きるということか。


美容院に行ったら忘れずに来たことを褒めてもらえた。
まだ3回くらいしか行ってない気がするのに本質を見抜かれているようだ。
頭皮が凝りすぎていて優しいシャンプーでも痛いくらいだったが、すぐに気持ちよくなったから、ほぐされたのだろうと思う。
カットをしてもらう間に『スピンクの笑顔』を読んだ。
最後まではたどり着かなかったから人前で泣かずに済んだ。
とはいえ、こじんまりとしたお店だから見られるとしても美容師さんにだけだ。
髪の毛に鋏を入れられても大丈夫な相手なら、泣いているのを見られることなど実はなんともないのかもしれない。


昼間にラインをしていて、スタンプって本当に言語だ、と感じた。
相手と同じスタンプでやりとりして初めて通じるものがあるのだ。
それはお揃いの喜びとかではなく、同じ種類のことばで話せることの嬉しさ。
今日はくたくたに疲れている。
しばらくは同じ種類のことばで話せる人としか話したくないと思った。


2日続けて3時間ほどしか眠れていない。
今日はもう少し眠りたい。

2019年にやりたい100のこと

あけましておめでとうございます。

新年最初の記事、タイトル通り、今年やりたいことを100個挙げてみる。

2019年がはじまった日、わたしは憧れの先輩 kondoyukoさんによる以下の記事を拝読し、

「なんだかすごく楽しそう! わたしも書いてみよう!」と思い立ったが……それから既に約1週間が経過し、今日ようやくの着手である。

1週間もあればやりたいこと1つくらいクリアできてたような気もするが、その可能性は見なかったことにして、とりあえず思いつくままにリストアップしてみよう。

絶対に達成しなければ! というものではなく、気軽な感じで、希望をもって、できそうな範囲で書いてみる。

様々な人が作っておられるリストを検索して見ていると、「〜したい」ではなく「〜する」と言い切るのが割と重要っぽい。

では、いきます。


  1. 月に5冊以上本を読む
  2. 読んだ本について感想を書く
  3. 月に10記事以上ブログを書く
  4. 1ヶ月ごとに写真を現像・印刷してアルバムに貼る
  5. iPhoneで撮る写真を厳選する
  6. 新しい構図で写真を撮る
  7. 写真を撮られる技術の向上
  8. 手帳に毎日「気分シール」を貼る
  9. 1日ごとに日記をつける
  10. 1日ごとに家計簿をつける
  11. 夢を叶えるためのノートを毎日つける
  12. 文フリに何かを出品する
  13. 月に1度は行ったことのない喫茶店に行く
  14. 毎週違うコーヒー豆を買う
  15. 新しいコーヒー豆を買ったらそれについてブログに書く
  16. コーヒーについて体系的な知識をつける
  17. 月に1つずつコーヒー用のC/Sを買い集める
  18. 自分のお店を開くとしたらリストに加えたいか? でワインを評価する
  19. 興味のあるワイン会に積極的に参加する
  20. ワイン関連の英語表現を覚えて実際に使ってみる
  21. 飲んだことのないウイスキーを飲む
  22. ブランデーを飲む
  23. 日本酒の記録項目を統一する
  24. ワインの記録の一覧性を高める
  25. 家から近くてひとりで行けるバーを探す
  26. 月に2種類はお菓子を作る
  27. 習った和菓子を家で作る
  28. 1日出店をする
  29. 新しい料理本を2冊以上買う
  30. 献立を決めてから買い物に行く
  31. おつまみのレパートリーを増やす
  32. アジア・エスニック料理のレパートリーを増やす
  33. 週の半分は魚料理をメインにする
  34. いろいろなスパゲッティを買って好みのメーカーを見つける
  35. 好みのお茶碗を買う
  36. 好みの和皿を買う
  37. 今年の結婚記念日にも好みの食器を買う
  38. まな板を買い換える
  39. 週に2日以上休肝日を設ける
  40. 5kg以上痩せる
  41. ボルダリングに行き前回の自己記録を超える
  42. 疲れの前兆を感じたら素直に休む
  43. ピルの飲み忘れをなくす
  44. 風邪をひかず健康に過ごす
  45. 夫にも健康でいてもらえるよう努力する
  46. ひとりの時間を積極的にとる
  47. 美容院にサボらず行く
  48. 久しぶりに髪を染める
  49. 肌を綺麗にする
  50. ゆっくりお風呂に浸かる
  51. お気に入りの入浴剤を常備する
  52. 脱毛器を買う
  53. 買ったことのないアイシャドウを買う
  54. お気に入りの香水を見つける
  55. 普段着用の着物を買い足すか自分で縫う
  56. 普段着用の帯を買い足す
  57. ワンピースを買い足すか自分で縫う
  58. シンプルなチノパンか綺麗めなジーンズを買う
  59. 革製品の手入れをきちんとする
  60. スーツケースを買う
  61. マフラーを編む
  62. リクエストされている帽子を編む
  63. ソーイング・ニッティング用品の整理をする
  64. 押入れをデスクに改造する
  65. アクセサリー収納をなんとかする
  66. もらった手紙類の収納をなんとかする
  67. 育てている苺を無事に収穫する
  68. 育てているローズマリーを初収穫する
  69. ミニバラ・パキラ・アボカドを枯らさずに大きくする
  70. 季節の花を植える
  71. 香炉を買う
  72. 積極的に美術展に行く
  73. やましたあつこさんの個展に行く
  74. 遠方に住む友人たちに会う機会を作る
  75. 観たい映画はすぐ観に行く
  76. 興味のある学会や講演会にためらわず参加する
  77. 着物で歌舞伎を観に行く
  78. クラシックの演奏会に行くとき洋装と和装を半々の割合にする
  79. 椎名林檎のライブに行く
  80. 新しい音楽を積極的に聴く
  81. 京都新祝祭管プラハ公演を成功させる
  82. プラハ滞在中チェコビールをたくさん飲み比べる
  83. チェコ語で挨拶ができるようになる
  84. ドイツ語を毎日少しでも読む
  85. 英語を毎日少しでも読む
  86. 思いついている研究テーマに着手する
  87. 宅建をとる
  88. ピアノの練習を再開する
  89. オーボエのケースカバーを買い換える
  90. IllustratorとPhotoshopに慣れる
  91. Twitterのフォロワーを増やす
  92. ラインスタンプを作る
  93. Splatoon2でS帯に行く
  94. なんらかの手段で収入を増やす
  95. 引っ越しのための資金を貯める
  96. 貯金口座を目的ごとに分ける
  97. ふるさと納税を枠いっぱいまでする
  98. NISA口座を活用する
  99. ストレングスファインダーを試してみる
  100. このリストの振り返り記事を書く

やっと書き終わった!
これけっこう大変な作業……

最初30個くらいで終わってしまい、あれ?わたしのやりたいことってこんなに少ないの!? と焦った。

しかし、無理にでも書き進めるうちに欲深さが増してゆき、90個に到達する頃には「100個では全然足りない」と思うようになっていた。

書くことは面白いですね。

今年が終わる頃、どれくらいの夢が叶っているのか? ちゃんと報告記事を書けるのか?
どうぞご期待くださいませ。

今年もよろしくお願いいたします。

Christmas dinner 2018

今年のクリスマスは本当にやる気がなくて、ディナーを作る日の朝もめちゃくちゃゆっくり起きたり、せっかく起きて朝食をとった後もすぐに炬燵に飲み込まれて更に長時間意識が消失したりと散々だった。

なぜこんなにも気持ちが乗らなかったのか、今でもよくわからない。昨年のクリスマスはきちんと気合いが入っていた記憶がある。一週間前くらいから作りたいレシピを印刷、メイン料理にも煮込みを設定したので料理をしている時間はかなり長かった。そのような諸々を思い返すととにかく気が重かった、同じことはとてもできない気がした。

昨年の日記を読み返すとそこにいる自分はあまりにも幸福感に包まれていてまるで共感を抱けず、そういうつまらぬ現在の自分自身にも幻滅、2017年にも2018年にも自分の好きな自分が生きていないみたいで、とにかくそのことについて考えるのをやめたい、という気持ちで炬燵に潜り込んだのはディナー当日の、ほとんど昼に近い朝であった。

先程は少し残っていた朝の空気がもうほとんど昼に染まってきた頃に目を覚ましたら、なんとすでに、夫の手によってスープが完成しているらしく気持ちはもっと焦る。前日から試作を重ね、当日更にバージョンアップして完成させるその計画力と実行力を前に、訳が分からなくなる。そのときわたしの気持ちはどこにいたのかというと、あの幸福な光に包まれていた2017年のクリスマスと、何もかも灰色でざらざらしているような2018年のクリスマスとの間、そのちょうど半分、おそらくは2017年6月頃の、存在しない日付の寝苦しい夜に落ちていた。

もうこのままわたしは戻れない。昨年も一昨年も、いつもやっていたことをできないままでクリスマスが終わり、人生もまたこのようであるのだろうか。

そう思っていたとき、じめじめした暗がりに突如として光が差し込む。わたしの座り込む夜の底の遥か頭上にある、カレンダーの罫線のあたりからめり込んでくる、銀色のゆるいカーブ。その上には、たまごとミルクを混ぜたような優しい色の液体がゆらめいていて、やがてとろとろと、わたしの全身に降りかかった。生命の象徴のようなその黃色は、わたしの身体だけではなく、無限に続くと思われた夜の底一面に広がってゆき、頭上から差し込む銀色とそれに反射する光がその様子を照らし、そうして夜が夜でなくなり、ついにわたしの実際が明るみに出されたのだ。

スプーン一杯の味見に、こんなに救われることがあるとは。全身を満たす味。それは不思議と、口内から染み渡るというより、皮膚の外側からもたらされる心地よい充足感であった。わたしは食べているのか、それとも食べられているのかよくわからなくなるくらいに、包まれる思いがした。食べるっていったい何なのだろう。人を救う料理というのは本当にあるのだ――と思った。

白ワインでできたそのスープが、今回のクリスマスの主役であったと思う。それを味見したあと、とりあえずスーパーマーケットに行ってみたらうつくしい丸鶏を発見、ずっと作ってみたかったけれどなんとなくチャレンジせずにいた丸々一羽のローストチキンを今年ついに作ることができた。前菜はエビを買ってきて茹でてカクテルにしたり、野菜とタルタル風にしたり、シンプルだけれどいい感じだった。近くにあるフレンチレストランが手がけるケーキも、ずっと食べてみたかったのをようやく買うことができて、予想していた以上に美味しくて、嬉しかった。用意していたワインはすべて幸せな芳香を放ち、ろうそくの静かな炎に照らされて、まるで液体の宝石であった。

何もかもが救われて、ほんとうの夜が来た。れっきとした2018年12月24日の夜に、わたしはいた。

【料理記録】2018年おうち料理・おやつまとめ

サボり続けていた写真の現像に、本日やっと手を付けました(終わりました!祝)

現像過程で、自宅で食べたものの写真がたくさん出てきたので、抜粋して載せてみることに。

2018年に作ったり、作ってもらったり、一緒に作ったり、買ってきたりしたものたち。

パスタは全て、夫の手によるものです。ほぼ毎週末作ってくれます。

おやつもまとめてみましょう。

こっちは、お土産の板チョコ以外は自分で作ったものです。

週末に焼菓子を作ることが多いです。

美味しい1年だったなあと思います。

こうして並べてみると、もっといろんな器を増やしたくなるね。

来年はどんなものを食べるのかなあ。

9記事目にしてblog titleを変える

frei aber einsam、とか格好つけたことを言っていて、それはその時の本心だったし今でもとても好きなフレーズではあるけれど、もっと格好つけていこうと思った。

せっかくドメインも取ったしドメイン名そのままで、自分をもっと売り込んでいこうかなと思った。

「seramayo.com」

一晩眠って明日になったら後悔してるかもしれないけどまあ別にいいよね。

ファビコンもマヨネーズにしたよ……!


前に同じハンドルネームで(というか本名で)作っていたブログが2年前くらいに炎上したのを知っている人も多いと思う。

あのときブログごと削除して以来、正直言ってエゴサするのがほんとうに死ぬほど恐ろしい時期が続いた。

エゴサだけじゃなくて何かを表明することすべてに恐怖感がつきまとって、インターネット上だけではなくリアルにも当たり障りのないことしか言えなくなって、生きることがどんどんつまらなくなっていた。


でも、先日なぜか久しぶりにTwitterでこういう感情になって↓

そして今日はけっこう好きなように生きてそうな高校の友人(とは言っても高校時代は全く喋ったこともなく、今日が実質的な初対面だった……)と話して、

そう言えばそうだった、わたしはもう既に余生を生きているというか、生きているはずのない時間を生きている、というか、何なら一度死んだ気分で生きてるんだったし、他人に好かれようと嫌われようともっと好きなことしていいんだったなーって思い出したのだ。


わたしはずっと本名でインターネット活動をしていて、わたし世代の人からはそのことを危険視されたり心配されたりするけれど、自分自身の中にはなぜか恐怖心が全くない。

炎上したときでさえ、本名でブログやってたことについては別に後悔しなかった。

自分の名前や、自分自身をあまり大切にできていないのかな?

だけど自分の名前は面白い響きだし、由来も好きだし、他人からも覚えてもらいやすく、そういう意味での愛着はある。

でも一番の理由は他にあって、わたしにとってブログは「愛着形成の場」なのだと思う。ここにすべてを告白することで、安心して外に出て行けるという感覚がある。

名前も含めて自分のすべてを投げ出し、委ねても許される場所なのだ。つまり幼い子どもにとっての親のような居場所。

2年前のあのとき、そんな居場所が土足で踏み荒らされた。とてもしんどいことだった。生まれ育った家に侵入され、あらゆるものを盗まれて破壊され、親を殺された気分であった。ブログを削除するのは、つらい記憶を忘れるために家を手放すようなものだった。

――と、今になっては思う。

だから、こんなブログタイトルを付けられるようになったのは、わたしにとっての「喪の作業」が終了したという証であると思う。

目出度いですね。


2019年はもっと刺激的な年にしたいなあ。もっと好きなことをしたい。

何人かの人には言っているのだけれど、わたしは将来、お店的な/ワークスペース的な/私設図書館的な何かを開きたいと思っている。

みんなが何かしらを創造できる場所を用意したい。絵を買いたり、勉強したり、編み物したり、仕事したり、本を読んだり……

「あらゆる人の、あらゆる世界の創造に立ち会いたい」と強く思う。

開業費用の目処が今まったく立たなくて、とは言え何かしら夢に近づいて行かなければならない。

Wine Expertの資格を取ったのも実はその一環で、お酒を飲みながら作業できるような場にしたいので、とりあえずワインを勉強してみたのだ。

今年の後半は、お酒に合いそうな、スパイシーなお菓子を少し作ってみたりもした。でもまだまだマリアージュに遠く及ばない。

これに関してはもしかすると、お酒の方の知識が足りていないのかもしれない。ウイスキーは好きだけど、ブランデーに関してはまったくの無知だし。

来年はどうしようかな。

・珈琲を勉強する
・引き続きお菓子作りをする
・蒸留酒を勉強する
・ワインリストを作ってみる
・カップ/ソーサーを集めはじめる
・どこかで1日出店をする

こんな感じかなあ。

もちろん、素敵なお店を知って体験することも大切だと思っているので、おすすめの喫茶店やBarをご存知の方、ぜひデートにお誘いください。


楽しい年になりますように。

今年も生きるのがつらい日ばかり訪れたし、来年もきっとそうなのだろうけれど、そんなときは自分がすでに一度死んでいるって思い込んで、気楽に暮らすことができますように。

そして、自分の夢に向かって精一杯がんばれますように――これは幼い頃、母に教えてもらった祈り方。今もずっとそうやって祈っている。きっと初詣でも同じように祈る。


祈るって何回も書いていたら「愛は祈りだ。僕は祈る。」っていう書き出しを急に思い出した。舞城王太郎って天才ですね……

今思えばあの本を手に取ったとき、自分の中のギアが回りはじめた。グロい話を読むことを親には心配・反対されたけれど、高校時代の家庭科の先生が舞城王太郎で書いた読書感想文を褒めてくれて、そのことがわたしにとってすごく大きな生きる糧となった。

来年は読書の習慣も復活させよう。

人は自分の中にある文体でしか思考ができない。言葉遣いというのは思った以上に重要だと考えている。だから高輪ゲートウェイとか、一億総活躍社会とかの最近のダサすぎる言葉遣いを、わたしはとても憂慮している。

飲み込まれたくない。自分の言葉で生きたい――そのためにはできるだけ多く自分以外の言葉を味わい、咀嚼し、飲み込まなくてはいけないのだろう、逆説的なようだけれど。


なんだか来年の抱負をたくさん書くことになった。

年内にあと1記事くらいは更新できればいいですが、もしできなかったときのために……皆様、どうぞ良いお年をお過ごしくださいね。


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