〈ちいさな白襟のブラックドレス〉―― ある友人のために

「ワンピースをつくってほしい」

光栄すぎる依頼を受けてからおよそ2カ月。ようやく一着が完成した。

他人のために洋服を仕立てたことのないわたし。いつも自分用に作るときのように、身体に当てながら微調整したり、見えないところを適当にごまかしたりすることができない。
なんとか形にするので精一杯。
誰かの服を作るのがこんなに難しいとは思わなかった。

自分のために作ったワンピースの数もまだ片手で足りるようなわたしに依頼してくれる意味がわからなくて、
「まだ初心者だから全然縫製よくないよ」
「家庭用ミシンだから生地端の処理がうまくできないよ」
ってたくさん言った。
そんなわたしに彼女がくれた言葉、

「〈あなたの縫ったワンピース〉というのがほしいんです」

驚いて、何も言えない空白があった。
そんなふうに言ってくれる人がいるんだ。こういう台詞って、フィクション限定じゃないんだ。
ぜったい一生忘れない。

この一言で、わたしの来年の目標が増えた。それは、自分でパターンを引けるようになること、そして仮縫いをしっかりして微調整した上で完成品を作る技術を手に入れることの2つ。そのために来年はボディ(マネキン)がほしいなあと思っている。

自分そのものに価値を見出してくれる人がいるからこそ、自分ができることを増やしたいと思えるのだと知った。

友達と一緒に生地を選びに行って、一緒にできあがりを想像するのは本当に楽しい時間だった。
これかわいい! ってしょっちゅう声を上げる彼女を見て、わたしは最近こんなふうにときめくことができていない、と思った。見ている世界が違う。カラフルな世界を見たい、昔は見えていたはずの極彩色の光景を見なくてはならない。

謎の責任感が生じていた。あの時わたしは大量に並ぶ生地の森の中を歩きながら、自分の価値をあまりに低く見積もりすぎてきたこととその行為の傲慢さに気づき、これをどうにかして償いたいと強く思ったのだ。

償うとは? これからも繰り返し滲み出してくるであろう無価値感に耐えること、そして、はねのける機会をうかがい続けること? それがわたしにできるだろうか。わからない。できるかどうかに関係なく、やってみようと思うことには一定の意味がある。あれ以来ずっと言い聞かせている。

ちょっとよそゆきのワンピースを、彼女はどんな日にどんな気持ちで着るのかな。自分の触った生地が服のかたちになって誰かに纏われるのはとても不思議な気分だ。誰かといっしょにどこかに連れて行ってもらえる気がする。そうやって自分が友人とか、他の誰かにくっついたまま無限に広がっていくなら、やはりわたしはわたしのことをもう少し大切にしなければならない。いろんなところに、最後までちゃんとついていけるように。

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