ずるについて

自分はずるく生きてきた、という感じのない人が多分この世にはとても多いのだなあと、生活保護や障害年金の不正受給に言及する人を見るたびに思う。わたしは自分自身がかなり多くのずるをしてきたと思っているので他人がずるをすることに対してあまり怒りを抱くことができないし、むしろその方法を教えてほしいと思ってしまいそれはそれでよくないのかもしれない。新しいずるの方法。基本的に毎日しんどいからできるかぎり楽をして生きたい。ぎりぎり合法のラインで、人に直接的な暴力を振るわない範囲で。

でもおそらくこういう考え方がすでに間接的に誰かを傷つけているだろうと思う。異なる倫理観の誰かを……倫理観、すり合わせるのが一番難しいもの。覚悟して真摯に、常に、多くを学ばないといけないと思う。

自分と違う意見を受け入れられる人間になりたい。というのはわたしにとっては、たどり着ける気がしないような理想なのであり、しかし、なくてはならない理想である。その目標を頭が思い出すより前にどうしても一瞬、誰かの意見を心の中でばかにしてしまうのは仕方ない、止めることはできない。でもその一瞬の純粋な気持ちを、少なくとも直接は、ぶつけてはならない。これは必ず守りたいと思っているルール。直接的な暴力を振るわないこと。

理想はあったほうがいい。人をわかりたいと思っていたほうがいい。人同士がわかりあえないことは知っている。それを仕方ないと割り切るのは簡単だけれどいつかわかりあえるかもしれないと思っておくこと、というか「思っていることにしておくこと」が大切すぎる。建前がない人とは関わることができない。建前のない人には本音もなさそうだ。紙みたいでなんか怖い。それが現代のかっこいい人間のありかたなのだとしたらわたしは化石になってもいいとすら思う。それでも紙みたいに見える人が紙みたいに生きる権利を一瞬たりとも奪いたくない、奪おうとしたくはない。

誰かの権利を奪おうとするのは、たとえそれが間接的な手段で行われることであっても直接的な暴力のように思える。なぜだろう。

権利を奪って無力化して勝つのは最大級に効果的なずるなのかもしれない。けどわたしはそれだけはしたくない。わたしがしたいのは、もっとせせこましいやつか、もっともっと抽象的なやつ。誰かが誰かの基本的な権利をどうこうしようとしている場面というのは、ブラックホールとか蟻地獄の真ん中近くはきっとこうなのだろうな、と思うほどに、引力が強すぎてどうにもやっていけない。

中心に引き込まれたくない、と強く思う。そこから逃れ続けるために、見たくもない中心をじっと見る。

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