ルシア・ベルリン『掃除婦のための手引き書』――意味がなくて鮮やかなわたしたちの生活

わたしはインディアンたちの服が回っている乾燥機を、目をちょっと寄り目にして眺めるのが好きだ。紫やオレンジや赤やピンクが一つに溶け合って、極彩色の渦巻きになる。

「エンジェル・コインランドリー店」

今日は、ルシア・ベルリン著・岸本佐知子訳の『掃除婦のための手引き書』を紹介しようと思う。
とても好きな作品で、うまく紹介できるか不安だけれど、がんばって書いてみる。

ルシア・ベルリンという作家

待って。これにはわけがあるんです。
今までの人生で、そう言いたくなる場面は何度となくあった。

「星と聖人」

ルシア・ベルリンは1936年にアラスカで生まれた。
アメリカの各地、チリ、メキシコ。たくさんの街に暮らした人だ。
鉱山町での日々、貧民街での暮らしと召使いのいる暮らし、シングルマザーとしての生活、静かな山奥の風景。教師、掃除婦、電話交換手、看護婦、小説家、刑務所での創作教室の講師、大学の准教授。
三回の結婚、そして三回の離婚。子供の頃に患った脊柱側弯症とその後遺症。アルコール依存症と、その克服。2004年、68歳の誕生日に死去。

ああ、なんて「カラフル(*1)」な人生なんだろう。

彼女の小説は、ほぼすべてが実際の彼女の人生を材料にして書かれているけれど、その人生があまりに多彩なのでどちらが小説なのかわからない。
実際、「彼女にしか持ち得ないような目と耳の鋭さ(*2)」によって描かれる世界は、現実よりも現実味を帯びているような感じがする。

いわゆる「忘れられた作家」だったようだが、リディア・デイヴィスが絶賛したことで訳者の岸本佐知子さんの目に留まり、今回の出版につながったとのこと(本書の巻末にはリディア・デイヴィス本人の言葉もある)。

本書以外で日本語訳されているルシア・ベルリン作品は「火事」(岸本佐知子編訳『楽しい夜』に収録)がある。

また、川上未映子責任編集の『早稲田文学増刊 女性号』にも本書の表題作である「掃除婦のための手引き書」が収録されている(わたしはこの本で初めてルシア・ベルリンに触れた)。

(*1)(*2)訳者あとがきより。

チェーンのカフェ、そしてコインランドリー

隣に座った盲目のお婆さんは点字を読んでいる。ゆっくり、音をたてずに、指が一行一行をなぞっていく。横で見ていると心がおだやかになる。お婆さんは二十九丁目で降りていった。〈盲人工芸品販売所〉の看板の “盲人” 以外の文字が全部なくなっている。

「掃除婦のための手引き書」

この『掃除婦のための手引き書』を開く時、わたしはなぜかいつも、チェーンのカフェでぼーっとしているときの気持ちになる。
どちらかというと凄惨な表現が多い本なのに、こんなに静かな気持ちになるのは不思議だ。

そもそも、わたしがチェーンのカフェでぼーっと感じている気持ちとは、いったい何なのか?
それをまず、説明してみようと思う。

チェーンのカフェとは、スタバとかドトールとかエクセルシオールとか、そういう種類のお店だ。
そういったカフェで周りの人を眺めているとき、不意に「なぜわたしはわたしであり、あの人ではないのだろう?」と考えてしまう癖がわたしにはある。

その疑問は、
「わたしの人生はこれで大丈夫なのだろうか」
「いろいろな可能性があった中で、この人生を選んだのは正しかったのだろうか」
「なぜわたしは、こんなふうに生まれてきたのか」
などのいろいろな不安から生じているような気がする。

カフェで、あるいはカフェの窓越しに一瞬だけ出会うひとりひとりの、生活をわたしは想像する。
隣に座った人、少し遠くに横顔が見える人、窓の向こうの雑踏の中でふと目に留まった人。
たまたま今はすごく近くに存在しているけれど、それ以降は絶対に出会わない彼/彼女ら。

あの人は、今晩どんなごはんを食べるのかな。
どんな場所で寝るのだろう。
家族はいるのかな。
明日起きたら、どんなふうに髪を梳かすのだろう。

そして自分自身の、どうでもいい生活を重ね合わせる。
「あの人」と「わたし」の、淡々とした毎日が重なるとき、
あの人は「ありえたかもしれないわたし」に、
わたしは「とりあえずわたしということになっているわたし」になり、
どうでもいい生活が、苦しいほどに鮮やかな、愛しい営みとなる。

わたしがチェーンのカフェで抱く気持ちとは、このようなものだ。

あなたと私との融解、私の私(と、あなた)からの疎外

わたしは家が好きだ。家はいろいろなことを語りかけてくる。掃除婦の仕事が苦にならない理由のひとつもそれだ。本を読むのに似ているのだ。

「喪の仕事」

『掃除婦のための手引き書』は、短編集である。
それぞれの短編は彼女の人生のいろいろな時点に材をとって書かれているので、舞台となる場所も主人公の年齢も職業もかなり多様である。

この本を読みながら感じる「チェーンのカフェにいるような感じ」は、
「ありえたかもしれない人生」の走馬灯を見ている、その静かな心地よさだったのかもしれないと、読み終えた今になって思う。

ルシア・ベルリンの語り口というのは、
カフェにたまたまいる「あの人」の身体の中に入り込み、自宅までついてゆき、彼/彼女の目の内側から「生活」をただただ眺めているような、
そんな語り口である。

PCを持ち込んで仕事をしているサラリーマンの、参考書を開いて勉強する高校生の、ネットビジネスの話をもちかける人の、それをもちかけられる人の、かなりの速度で雑踏をかき分けてゆくスーツ姿の女性の、あまりにもゆっくり歩く老人の、
生活を、ただ見る。
評価はしない。
というかできない。なぜか?

それは、ルシア・ベルリンの語り口において、もしくはわたしのカフェでの妄想においては、
自他の境界が奇妙に融解し、同時に、奇妙な疎外感が生じているからだ。
こうして自他の概念が崩壊したとき、評価という行為は無効化される。

ルシア・ベルリンの作品で一人称の「私」によって語られるのは、「私」そのものを一歩後ろから見ているような、いわゆる「解離的な」文章である。
血みどろの場面であっても、悲惨な状況であっても、豪奢な日々を描く部分でも、目の前の世界が極端に淡々と、しかし極端に鮮やかに描写される――しかもその描写の仕方は、「私」自身についても適用されているのだ。

それは、「私」を「私以外」と同じ世界で捉えるやりかたであり、
同時に、「(書き手としての)私」が「私(と、それを含む世界)」から阻害されてしまうやりかたである。

そのやりかたは、全然関係のないはずの、時には自分に害を与えることすらある他者たちと自分との間に『ありえたかもしれないわたし「たち」』としての一体感をもたらす。
その一体感がもたらされている間、世界はきわめて静かであり、その静けさの中には、癒やしと悲しみが同居している。
これが、ルシア・ベルリンの文体の「静けさ」の正体だとわたしは思う。

ちなみに、わたしにとっての「チェーンのカフェ」のような空間は、ルシア・ベルリンにおいて「コインランドリー」として現れているのではないかと考えている。
したがって、この短編集の最初におかれた作品がコインランドリーを舞台にしたものであるというのは、非常によくできた構成だなあ、と思った。

書くことのケア性――toi booksでの読書会を経て

ママ、あなたはどこにいても、誰にでも、何にでも、醜さと悪を見いだした。狂っていたの、それとも見えすぎていた? どちらにしても、あなたみたいになるのは耐えられない。わたしはいま恐れている……だんだん美しいものや正しいものを感じられなくなっていくようで。

「苦しみの殿堂」

この『掃除婦のための手引き書』については、大阪の本屋さん toi books にて開かれた読書会に参加して、多くの人の様々な意見を聞いた。
それによって、解釈のための新たな視点を手に入れることができた。

それは、「ルシア・ベルリンにとってこれを書くことは、ケアのひとつだったのではないか」という視点だ。

ルシア・ベルリンの人生は、一般的に言えば、かなり「たいへん」であった。

家族数人のアルコール依存、祖父からの性的虐待、虐待を知りながら見て見ぬふりをする他の家族、妹だけに注がれる愛情、学校でのいじめ、母親の自殺未遂、夫の薬物中毒、自分自身もアルコール依存となった状況での仕事と子育て、死を間近にして怯える妹の介護、など。

誰の人生でもそうだが、人生というのは毎日の生活の総体である。
状況がどんなにつらくても、生活をしなくてはいけない。

そんな中で生まれたのが、上述の「解離的な書き方」である。
これは、彼女が自身の「たいへん」な人生をやっていくための手立てであり、
それと同時に、ひどすぎる家族たちのひどさを諦め、そうして諦めることによって穏やかに受け入れるための手段だったのではないだろうか。

こういう意味での「書くという行為の尊さ」は、
彼女ほどにはつらい目にあっていないわたしにも、痛いほどにわかる。
書くことにこういう意味があるから、わざわざ日記をつけるし、ブログを書くのだ。

そう思うと、ルシア・ベルリンという人がとても近い人のように思える。
同じように苦しみながら生活をしている人。

わたしたちの人生も、生活も、意味がなさすぎて笑ってしまう。
だけど意味のないそれらは、こんなにも鮮やかなんだよ。

ルシア・ベルリンは、彼女自身を含む「わたしたち」に、そう言ってくれているような気がする。

この本は、こんな人に

この本をおすすめしたい人はどんな人か? というのを述べて、記事を終わりにしようと思う。

  • 毎日の生活がしんどい
  • 毎日の生活を愛おしく思いたい
  • 他人と関わるのがしんどい
  • 家族がしんどい
  • どうして私はこんなにつらい人生を続けているのかな、と思う
  • 日記をつけるのが好き
  • 日記ブログを読むのが好き
  • カウンセリングなどでの「語り」に興味がある
  • 海外文学ならではの語り口やジョークを味わいたい

ルシア・ベルリン『掃除婦のための手引き書』をプレゼントするとしたら、こんな人。
ぜひ、手にとってみてください。

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