2019/12/06

高校生相手にネットカテキョをやっている。さっきまで授業していた。

まったく教科特化型じゃなく、

・勉強というものに対する考え方
・全教科に通じるような基礎的な国語力
・計画を立て遂行・修正する方法

などを教えてるから成果の出方が超ゆっくりで焦る。

しかし最近、ふとした瞬間に相手が「確実に良くなってきた」のを感じる。例えば、雑談での言葉遣いとか、考えているときの表情とかそういう些細なことからそれが感じられる。

もちろん、相手が勝手に成長しただけかもしれない。自分のおかげとは全然思わない。むしろ、それが嬉しい。誰かの人生が豊かになっているのを見るのがわたしは好きだ。それは、誰かが受験的に賢くなっているのを見て喜ぶのと、外形的には重なる部分があるかもしれないが、全然違うことだ。

一応受験勉強のためにお金をもらって授業をしているし、本人にも志望校があるので、「よくなってきた」のを感じても「問題は受験に間に合うかどうかだ」と思ってしまうが、本当は彼の人生が少しでも豊かになれば良いのである。教えたことをすべて忘れても良いし受験に落ちても良い。大事なのはカルチベートされるということだと黒田先生も言っていた。その手伝いができればわたしは満足なのだという気がする。もしかするとわたしは家庭教師においてだけでなく全般的にそういうことをやりたいのかもしれない。誰かが自分を耕したり、それによって世界を少し愛しはじめたりするのを、少し離れたところで見守っていたいのかもしれない。そう思った。

太宰治『正義と微笑』(青空文庫)