ビリー・アイリッシュを流さないと家事ができない

グラミー賞のことでビリー・アイリッシュの話題がTwitterのタイムラインにちらほら流れてくる。おめでとうございます。

米グラミー賞、18歳ビリー・アイリッシュが5冠 ブライアント選手の追悼も – BBCニュース
https://www.bbc.com/japanese/51259695

最近のわたしがビリー・アイリッシュの音楽を好んで聴くタイミングはたいてい家事をするとき。そしてなんだか、彼女の曲を流していなければ家事に取り掛かれない日がけっこうある。特に、キッチンに置いてあるEcho Dotから流すことが多い。「どう考えても料理や洗い物をしながら聴くべき歌じゃないやん」って思うでしょう。でも一度やってみてほしい。なぜかハマってしまうんだよ。

なぜビリー・アイリッシュを聴いたら家事ができるのか考えていたら、彼女の曲が流れている場合のみ、自分がかなり気怠い感じのままで動けていることに気がついた。多分わたしの中には「家事=明るく前向きな気持ちでなければこなせないタスク」という固定観念があるのだが、その無駄なとらわれに勝つことができるというか……とにかく、キッチンなどで彼女の曲を流した瞬間、「めちゃくちゃ怠そうな感じで目の前の洗い物を適当にやる女」の像が目の前に浮かび上がってくるのだ。あとはその像に自分をチューニングしていくだけ(?)で、いつの間にか家事が終わっているのである。

この現象はおそらく、自分のコントロール法においてかなり重要なことを示唆している。経験的に、何もしたくないときに「気が進まなくても良い。いやいややってもいいのだ」と思えたら大抵のことができるような気がするのだが、その境地にひとりでたどり着くのはわたしにとってけっこう難しい。なんでも「気が進むからやる/気が進まないのでやらない」と白黒に二分しがちなわたしにとって、ビリー・アイリッシュの音楽が持つ色合いは本当にありがたいのだ。もちろん家事BGMとしてだけではなく、お部屋でゆっくり聴くのも好き。これからもたくさんお世話になりそうな気がする。買うか迷ってまだ買ってないユリイカ、買おうかなあ。

2020/01/25-26

2020/01/25

ちゃんと午前中に起きてごはんをたべて、まずコーヒー焙煎。直後に飲んだ感じだと、前回の焙煎よりも良い気がする。味が落ち着く2〜3日後に再度テイスティング。

お昼は抜き。晩ご飯にカレーを作ってもらえることになり、喜ぶ。仕込みを手伝ったり炊飯器をセットしたりしたあと、同居人が今度のコンサートのチラシを作るのを編み物しながら見る。たまに口を出す。

一段落してゲームを色々やっていたら、カレーを作りはじめるべき時間がやってきたので手伝う。案外早く完成して食べる。おいしい。ビールと合う。食後、ゲームの続き。酔っ払うと、操作がわかりやすく下手になって笑う。飲酒運転のダメさがよくわかる。しばらくして寝落ち。

2020/01/26

お風呂に入り、ブランチのあと、昨日のコーヒーを味見。まずくはないけどまだまだだなあ。次回の設定温度、焙煎時間などを考える。何回も試すしかない。

その後アー写を撮ってもらう。演奏バイトに応募していて、面接の際に写真の提出を求められているのだが、まともなものを持っておらず。スタジオで頼むお金をケチって家で撮ってもらった。写真が上手い人が家にいるといろいろ助かる。

午後、本番。久々のトリオダンシュ、フランセのディヴェルティスマン。数時間前から異様に緊張していて、自分が面白かった。楽屋入りしてメンバーの顔を見ると安心して、ああもう大丈夫だなあと思った。けどやっぱりステージに出て吹き始めると「いつもどおりではなさ」があり、危うい演奏になってしまった箇所多々。後半の楽章くらいからやっと自分を取り戻せたのは良かったけど、これを一音目からやりたかったな〜って思う。まあそんな本番もあるよね。この3人でこれからもいろんな曲をやりましょうってことになったから、時間をかけて音を溶け合わせていって、独自の音色をつくりたいな。次はモーツァルトやりたいねってなった。グループ名がまだ決まってない。何にしようかな。

打ち上げ@キエフ。ずっと入ってみたかったキエフに初めて入れた。おいしかったしいろんな方とお喋りできて超たのしかった。弦楽器とのアンサンブルもまたやりたいなあ。帰りの電車で寝過ごした。時間が早かったのでタクシー帰宅にならなくて済んだ……家に帰ったら同居人が朝の写真を現像してくれてた。写真を撮られると、ああ、可愛くなりたいなって思うからもっとたくさん写真撮ってもらおうと思った。嬉しくて速攻でFacebookのプロフ写真に設定した。

そのあとお風呂に入ってすぐ眠ったのだけれどこんな時間(3:00)に目覚めてしまった。明日は午前中に予定があるのでがんばってもう一回寝る。

2020/01/22-24

この3日間、生活はボロボロだった。特に明るいうちが最悪で、お布団から出られない時間があまりに多かった。それでもお布団の中で必要な作業をしたし、英語の勉強もしたし、楽器が吹けない日はリードだけでも吹いた。平均には遠く及ばないが自分の中ではかなりがんばったほうだと思う。

一方、生活以外のところは極めて充実していて幸福なのだ。生活以外のところって言って伝わるのだろうか。わたしは生活以外のところで主に生きているのだけれど。

具体的に何が幸福かというと、このところ、自分の文章について嬉しいコメントをいただく機会が連続しているのだ。特に今日は本当に涙が出るような素敵な言葉で評価をいただいた。あまりにきらきらしていて、「(わたしには、というのではなく、そのものとしての)もったいなさ」があって、すぐ溶けてしまう雪の結晶みたいだった。幼い頃、手袋の上に乗った六角形を必死で見つめていた時の切なくて嬉しい感覚を鮮明に思い出したのがお昼の12時、それから6時間あまり経った今も身体の中から喜びが消えなくて苦しい。

現在もこれまでも、わたしの表現を読んだ誰かがそっとかけてくれる言葉によってようやく浮上して、最悪の墜落を免れている。そう思うとわたしは完全に自分のためだけに書き続けてきたのだということがわかる。こうしなければ死ぬような気がする。自意識の肥大がすごいな。

月に一度発行しているZINEにも、毎月感想のお手紙を書いて送ってくださる方がいる。ブログを書くとコメントしてくださる方がいるし、高校の時に書いた読書感想文のことを、現在に至るまで何度も何度も好きだと言い続けてくれる友人がいる。正直にいうと、自分の文章を読んでくださる方がなぜそんなにいるのかよくわかっていない。でも嬉しいことに変わりはないし、何よりも、誰かがわたしの書いたものについて述べてくれるときに初めて、わたしはわたしの存在をちゃんと認識できるようになる気がする。

それで先述の、雪の結晶のような言葉を発した人のもとで文章を書くことになりそうなのだけれど、そうして素敵な人と協同して素敵な場所で書くとなるとめちゃくちゃに緊張してしまう。書きたいことはこのブログにだけ書いて、仕事で何かを書くときは「お金をもらうための仕事だから」と逃げることのできる環境であれば楽だ、そうやって割り切っていれば、自分がへりくだっている先の理念については考えなくてよいのだから。でもわたしはそれをやめたかったはず。だからこのところ、本当に書きたいと思えるところに、書かせてくださいと連絡をしていたのだ。しかし、いざ叶うと、怖い。

自分のままで求められた成果を出すにはどうしたら良いのだろう。壁を破らなければいけないのかもしれない。泣くのかもしれない。頑張りたいなと思う。とりあえず今できることは美しいものを吸い込むこと、そして吐き出すように書くことしかない。

2020/01/21

体調が悪い。理由が分かっている。仕方ない。

今日は家庭内Slackにスヌーピー執事BOT(?)を導入した。インターネットに落ちてる情報をつぎはぎしてGASで作った。
できることはまだめちゃくちゃ少なくて、
・Googleカレンダーに登録してあるその日の予定を毎朝お知らせする
・通販の発送通知メールだけを抽出して流す
この2つだけ。でもなんかいてくれるだけで可愛いし嬉しい。発言してほしさにどんどん予定入れたくなってしまって困る。いつか会話できるようにしたいけど今日はここまで。

昨年ふるさと納税で頼んでいた坂越の殻付き生牡蠣が明日か明後日に届くらしい。急遽開催される自宅オイスターパーティー。めちゃくちゃ楽しみです。こうやって配達してくれる生牡蠣がちゃんと美味しいのであれば、納税でなく日付指定できるやつで頼んで大勢でパーティーしてみたい。生牡蠣、本当に好きです。

ひとまず今日は一人で晩ご飯、適当になりすぎないように努力したい。

2020/01/17-20

2020/01/17

夜中2時ごろに急に目覚めた。なぜだか内臓の全部が熱く、その熱が全身に伝わってちょうど良いだるさに変わっていく様子をひたすら観察していた。すごく心地よかった。ずっとこのまま朦朧としていられたらいいのに。でも、そういうわけにはいかなくて朝が来る。

諸々のタスクをこなしたあと、パン屋さんに週末のパンを買いに行く。夜、いとことLINE通話で読書会。この日は自分の担当回だった。がんばりましたね。終わったあとにサバ缶と大根と春菊の味噌煮込み鍋を食べた。驚きの美味しさだった。

2020/01/18

昔のバイト先でお昼ご飯。食べ物も飲み物も相変わらず最高の味だ。そして暖炉の音と色。いつ行っても本当に大好きな空間であってくれる場所。稀有で、尊い。

久しぶりにオーナーご夫妻にご挨拶できて本当によかった。「将来わたしもお店できたらいいな〜」程度のことしかこちらからは伝えていないはずなのに、顔を見るなり店舗兼住宅にすることを勧められた。お金払ってどっかを借りるより、良い不動産をゲットして家の一部を解放可能な間取りにし、プレッシャーのない環境で好きな日だけオープンするのが向いてるって言われた。わたしも同じことを考えていました……さすがは、あんなにも体調不良で休みまくったわたしをクビにしなかった人だ。それと、「あんたは自分で決めたことなら絶対やり遂げられるから大丈夫」って言ってもらえたのが本当に嬉しかった。バイトしてた時にも、何度もかけてもらった言葉。これに励まされて生き延びてきたということを、久しぶりに思い出して涙が出そうになった。『透き間』を一冊渡した。この先もう少し生きてゆくために、もっと頻繁にここに来なくてはいけないと思う。

その後、15分ほど歩いた場所にあるお宅でトリオの合わせ。ここでも暖炉が燃えている。わたしも暖炉のある場所に暮らせる日が来るだろうか。本番前ラストの合わせはヒートアップし、終わった後はマラソン大会の直後みたいにヘトヘトになった。帰る前に出していただいたエキュバランスのシュークリームがびっくりするくらい細胞に染み渡って、なんだか鳥肌が立つほどだった。おいし〜って言いながら、この本番が終わっても定期的に集まっていろんな曲をやりましょうって話した。みんなで写真も撮った(こんなの初めて!)。音楽に対して真摯な人々と末長くご一緒できるのは本当に幸せだ。磨いてゆかなければって思う、技術も感性も。

2020/01/19

日曜日。どこの銅製玉子焼き器を買うかをめぐって議論した結果、有次のものに決まった。買いに行く時に包丁を持っていって研いでもらうのを忘れないこと。

夜、シュクメルリを作った。まだ納得いく味にはならなかったんだけど、まあ松屋のやつよりは美味しいかなって感じ。次はチーズを入れずに再チャレンジする予定。松屋のでもジョージアワインと合う予感があったから、美味しく作れるようになった暁にはぜひペアリングしてみたい。でもやっぱり究極は、現地を訪れて本場の味を知りたいなあ。

2020/01/20

平日に戻るのに失敗しそうな朝だったけれど、なんとか起きてコーヒーを飲んで元気になった。ミルを自動のものにしてからは、元気のない時にもコーヒーを淹れられるようになった。本当に買ってよかった。

完全に目覚めるまで編み物をしていた。自分用の模様編みの多いセーターではなく、同居人が家で着る用のメリヤス砂漠のカーディガンを編み進めた。これなら何も考えなくても&何も見なくてもサクサク編むことができ、気分落ち込み対策として行う「リズム運動」としても最適なのである。おかげでその後一日、無事に日常を送ることができた。

今晩はミートボールを作り、キャベツと一緒にトマト煮込みにする予定。

2020/01/16

昨日晩ご飯を半分食べたくらいから眠るまでのことを覚えていないし、一昨日のそれも。ずっと解離してしまう。一日で一番リラックスできる時に限ってわたしじゃない。つらい。眠くなると曖昧になるのだろうね。

最近はお金欲しい欲しい期で、でも鬱モードは抜けたので通常の職には全く目を向けず、もっぱら在宅or仕事する日を好きに選べるやつばかり探して、いいのを見つけたら積極的に応募している。本当にやってもいいと思うものが見つかる時期に入ったみたいで、どれも受かるといいなって思ってる。まあどれも倍率が高いような気がするけれど、期待しすぎない状態をうまく保つことができているのは、精神の状態がいい証拠だろう。ただし解離は激しい。何年も前に病院で、わたしには躁鬱の波と解離の波がそれぞれあると言われたのを今初めて実感している。本当に初めて。やっと。

明日は友達と浄土寺周辺でデートの予定だったけれど、急遽延期になったので、一人で行く。昔のバイト先を訪ねる。休み休みではあったけれども、やめることなく数年間働けた唯一の場所。どうしてわたしはあのお店をクビにならなかったのかよくわからない。明日は何を頼もうかな。あまりにご無沙汰しすぎている。楽しみで少しこわい。

2020/01/15

蜂本みささんのBlogで言及していただいてることに今朝ようやく気づいた。わたしは某読書会でお会いしたときからの一目惚れ的かつ一方的ファンなのでびっくりして、とても嬉しかった。これでとりあえず今日一日は絶対快活に生き抜けるぞ、という気持ちになった。そして実際この時間まで快活であり続けた。すごい。

蜂インザヘッド
http://hachimoto8.hatenablog.com

素敵な文章を書かれる方です、お話しされる時のリズムも素敵だった記憶があります、未踏の方ぜひ訪問してください。

今日やったことは最近の注文分の仕入れと梱包作業。明日発送します。お楽しみに。それと英単語、練習、筋トレなどをやった。あっ、それから、『映像研には手を出すな!』の原作を買ってきた。以上。なんでこれだけで日が暮れるんでしょうおかしいな。今夜は鍋です。

東畑開人『居るのはつらいよ:ケアとセラピーについての覚書』を読み、わたしは赤ちゃんだとわかった

どんな本?

  • ケアとセラピーに関する「学術書」
  • 沖縄の精神科デイケアが舞台
  • エッセイ体で書かれている

出版社による序文は以下です。

「ただ居るだけ」vs.「それでいいのか」
京大出の心理学ハカセは悪戦苦闘の職探しの末、ようやく沖縄の精神科デイケア施設に職を得た。「セラピーをするんだ!」と勇躍飛び込んだそこは、あらゆる価値が反転するふしぎの国だった――。ケアとセラピーの価値について究極まで考え抜かれた本書は、同時に、人生の一時期を共に生きたメンバーさんやスタッフたちとの熱き友情物語でもあります。一言でいえば、涙あり笑いあり出血(!)ありの、大感動スペクタクル学術書!

「ただ、いる、だけ」

この本で何度も語られるのは
「ただ、いる、だけ」の難しさ、
とりわけ現代社会におけるその難しさである。

詳しく書くとネタバレになってしまうのだけれど……
とにかく、エビデンスとかコスパが求められる社会において「ただ、いる、だけ」つまり生産性を問題にせず「ただそこに座っているだけ」のような状態を健全に成り立たせることのできる場がどれほどレアか。これは多くの人が実感することだと思う。

でもこの事実を、具体的にわかりやすく、かつ学術的知識をしっかり交えながら、そして何よりここまで面白く(重要!)書ける人はこれまでいなかったのではないか。

自分が昔通っていた精神科にもデイケアがあり、通院のたびに利用者の方々を見かけていた。当時は「何してはるんやろう、何のためにここに集まるんやろう」と思っていたけど、本書を読むことで「あれはこういうことだったのか」と附に落ちた。これだけでも既に、読んで良かったと思う。

さて、本書は学術的テーマを扱いつつエッセイ調である。それは、この本の内容がこの文体でしか表せなくて、だからエッセイ調なのだそうだ。「ただ、いる」ということ、その円環は論文のような文体では綴ることができない……わたしはこの部分にとても納得する。自分がなぜこんなにも日記的な文章を書いてしまうのかがちょっとわかった気がした(ブログとは別に、紙の日記帳にも書いている)。それは自分が「ただ、いる」に大変苦労するタイプの人間だからだ。「ただ、いる」と何とか向き合うために自分は日記を書いているのかもしれないのだ。

わたしはこれで良いのかもしれない

著者に感謝している。自分のあり方みたいなものが、この本によってかなり見えやすくなったのである。

この本を読んでわかってきた自分自身の特性はこんな感じだ↓

  • 自分は日常をただ生きる=「ただ、いる」のがかなり下手である
  • なんらかのサポートがないとすぐに日常から離脱してしまう
  • したがって「共にただ日常を送ってくれる存在」をかなり必要としている

多分わたし自身は、本書の登場人物で言うと「スタッフ」よりも「メンバーさん」寄りの人間であるような気がする。本書で出てくるメンバーさんたちと違って統合失調症ではないけれど、普通に日常を送るということを、世の多くの人よりも苦手としているのは確かだ。

そしてそんなわたしは、けっこう「ケア」を必要としているのだ。具体的に言うと、そばにいて日常を過ごしてくれる存在を求めている。実家で犬といた時だけちゃんとやっていけたのも、犬にケアされたからでは?

わたしは子供の頃から自分の空腹・満腹をうまく察知できないので、普通にお腹を空かせる存在がそばにいてくれないと食事をコントロールすることができない。目を瞑ると、顔から数センチのところで誰かに見張られている感じがするので、れっきとした生物(?)がそばにいてくれないと怖くて眠ることができない(いても怖いけど)。頭の中の声が外界に侵食してきてうるさく、誰かの生活音がなければ狂ってしまいそうになる。これらはみんなに起こっていることで、みんなはこれに耐えて生活している(そしてわたしは弱いからこれに耐えられていない)のだと思っていたが、そうではないかもしれないと最近わかってきた。多くの人は、そうするのが自然で楽だから日常生活をあんなふうに送っているっぽい。でもわたしにとって日常を恙無く過ごすというのはかなり努力しないとできないことだ。気を抜くと失敗する。

でも本書を読み進めるうちに、自分のこの性質は別に悪くないなと思いはじめた。確かに困るけれど、悪ではないかもしれない。
ちゃんと、良い点もあるのだ↓

  • 「ただ、いる」ことの難しさを、他の多くの人よりも知っている気がする
  • 「ただいるだけでいいのか?」と言う自分の中の声が、わたしの場合、おそらく他の多くの人よりも聞こえにくい
  • その結果、他人の「ただ、いる」をサポートしたいという気持ちを強く持てているし、おそらく適性もそこそこある

赤ちゃん的人生

じゃあ、他人の「ただ、いる」をサポートできるような生き方をしますか?

……

本書では、「ただ、いる」をサポートすることの難しさも同時に語られていた。そりゃそうだ。「親」と呼ばれる人々を見ていてもそれはわかる。究極にケアを求める存在である赤ちゃんを前にして、親をやっている人々はかなり苦労しているように見える。今更わたしが「スタッフ」の側に回るのはどう考えても無理だという感じがする。

ここで思い出したいのが「デイケアではメンバーさんもケアを行なっている」ということだ。赤ちゃんは親にごはんを作ってあげることなんてできない。でもそんな無力な赤ちゃんが親にとって生きる活力になることだってあるだろう。または、猫を思い出そう。猫は気ままに寝ているし人間の役には全然立っていないように見える。そんな存在が同じ空間にいることのありがたみ。

今の自分の暮らし方を省みる。経済的に同居人を支えることなんて全然できていないし、完璧に家事をやっているわけでもない。赤ちゃん時代となんら変わらない生活をしている。
それなのに暮らしてゆくのがめちゃくちゃつらいときがある。そんなとき、親や配偶者と何度も何度も交わした会話を思い出す。
「ただいるだけでいいんだよ」
「それが難しいんだよ」

この本を読むずっと前からもう、わたしはケアの円環の中に在ったのか。そしてわたしの人生は、「ただいること」を努力し続ける人生なのか。

!!!ずっと赤ちゃんの人生!!!

なんとなく気づいていたけど直面を避けてきた事実に初めて向き合う事となった。そして、「自分の生き様は、けっこう良いのかもしれない」と思うことができている。繰り返しになるがわたしは、本書の著者に感謝している。

大人の赤ちゃんとして何ができるか

自分の人生が赤ちゃん的人生であることはわかったけど、今のあり方に満足しているわけではない。いずれ「場」をつくりたいと、2016年ごろから考え続けている。本書で学んだことをその場づくりに絶対に役立てたい。

お茶やお酒だけでなく筆記用具をはじめとする各種ツールを提供し、勉強も仕事も、スケッチや編み物みたいな創作も、そしてもちろん何もしないこともできるような、逃げ場的な場所にしたい、とは常々考えていたが、本書を読むことでその考えが少しだけ具体化できた。

  • 透明化する光≒「会計監査文化 audit culture」から逃れられる場である
  • 外から見えすぎない曖昧な場である(視覚的にも)
  • 内輪ノリ的な(?)コミュニケーションが成り立つ
  • ひとりになれる場所としても機能する
  • 通過地点としての店ではなく、一定の時間をちゃんと暮らせる場である
  • そこでわたしはただいることに徹する

こういうのを書き出してみると、「完全に趣味でやってるバー」とか「なぜか客が客にサービスしてる喫茶店」みたいなのがどれほどありがたいかわかってくる。わたしだって理想は採算度外視である。でも実際にはそんなことできなさそう。この辺が全く詰められていないことに変わりはない。でも、将来自分が作ってみたいものについてディテールが少しでも追加されたのは本当に幸いなのだ。

『居るのはつらいよ』は数々の賞を受賞しているが、中でも「紀伊國屋じんぶん大賞2020」で第1位に選ばれたことにわたしは注目している。この賞は読者の投票や出版社・書店員の推薦などで成り立っているので、ここに選出されることは本書の内容が「専門外の人にもかなり響いた証」のように思う。わたしはこれを、「自分の目指すところに共感してくださる人が多いのかもしれない」というふうに都合よく解釈しているのだ。

おめでたいね。でも、本当にわたしは「いられる社会」にしたいのだ。ここを。

こんなわたしは次に何から取りかかれば良いと思われますか。アイディアやご賛同をいつでもお待ちしています。今日も明日も、ただいることに苦労しながら、それでもこうやってわたしはここにいつづけています。ぐるぐる回りながら他の円と交わって、その全体でまあるい大きな図形を作ることを夢見ています。

2020/01/13-14

1/13

練習に行く同居人を見送る、スーパーマーケットの開店アタックからの買い出し、晩ご飯を作る、自分も別の練習に行く、帰る、作っておいたカレーを食べる、撮っておいた映像研をみる、20時台に寝る。

1/14

昨日めちゃくちゃ早寝したにもかかわらず朝起きられないし、12時にやっと目覚めてもお布団から出られない。世の人はなぜそんなスムーズに連休→平日へと復帰できるのか全然わからない。この状態になると、やりたくないことをやれないのはもちろん、自分のやりたいことを見つけるのに苦労してしまう。でも今日は一つ確実にやりたいことがあってそれは『居るのはつらいよ』の続きを読むこと。と言っても未読部分はほとんど残っていなかったのですぐに読了してしまい、しばらく浸ったあとまた虚無に陥る。結局再び眠りに落ち、お布団から脱出したのは17時。とりあえずお風呂に入って楽器を練習する。しかしこの近辺では人が朝に起きて夜に寝ているので、音が出せる時間はわずか。しょうがないから、少しだけ音を出したあと、リードを作る作業をする。苦行すぎて吐きそうになる。こんなにストレスなんだから、買えばいいのに……と思うよね。いいリードができた瞬間、このストレスを全部忘却してしまうのです。だから買うタイミングがありません。

リードを作りながら考えていたのはこのようなこと↓

これは予言であるとともに「そうなってほしい」という祈りでもあるのだが、「私的な文章」はいずれ復権すると思う。かつての個人ホームページみたいなものが再び尊ばれる時代がいつかくる気がする。もっと多くの人が自分のドメインを取り、プライベートな表現を始めるような予感がある。

何かがめちゃくちゃ流行する少し前にその対象を生活に取り入れ、でもみんな全然注目しはじめないから不安になってやめたらその数ヶ月後か数年後かに多くの人がそれに注目しはじめてなんだかバカみたいな目にあうことがわたしには過去何度もあったので今回もそうなんじゃないかと思うしそうだったらいいなって思っている。だから自分にできることはここでちゃんとどうでもいい日記を更新し続けることなんだろうと思う。今度こそやめないぞ、次こそ世間がついてくるまでやり続けるぞ、と思っている。なぜそんなにして頑張るのか。自分が日記的なものを書くことが好きだということ以外にもう一つ理由がある。わたし自身、「私的な雰囲気の芸術」が好きなのだ(文章以外でも)。才能のある人の私的な表現を自分が享受したいのだ、もっとたくさん。そのために自分ができることというのは今のところ、ここを更新し続けることしかない。そんなことが全体の雰囲気とか素晴らしい芸術の創造に貢献できる度合いは本当にちっぽけすぎるので笑われちゃうかもしれないけど、でもわたしはやる。これはおそらく信仰なのです。ありえないような奇跡を信じて、さらにその信仰を自分で確認できる行為をやっていないと生きていけない世界だから、わたしは今日もこうして適当な日記を書きました。

2020/01/09-12

01/09

大フィルの定期会員に申し込んだ。電話がなかなかつながらなくて半ば諦めてたけど予想外にいい席が取れて嬉しかった。
そのあと、風邪が悪化して寝込んだ。

01/10

京大オケの定期演奏会を聴きに行った。芥川が良かった。
なみなみに行ったら予定調和的に終電を逃して朝まで飲んだ。いろんな人とたくさんお話ができて超楽しかった。風邪が治った。

01/11

3時間寝て起きて「セイチェント」のセミナーに参加した。

セイチェント4:セミナー「歴史と共に弾く・聴く~過去の楽譜をより理解するために~」
https://seicentomasterclas.wixsite.com/website

わたしは修論に自筆譜研究を取り入れたのだが、お話を聴いていると「自分は何一つわかっていないままあれを書いたのではないか」という感じがした。自分の無知を知って更新してくのはとても楽しい。参加して正解だった。松本先生はいつものことながらかっこよかった。松本先生を見ていると音楽学をまたやりたくなってくる。

そのあと梅田で母とショッピング。母と色違いのコート買ってもらった。嬉しい。晩ご飯は夫も出てきて3人で。お正月は帰省できなかったので、会えてよかった。

01/12

予定の入っていない休日。最高。午前中は、通販の段ボールをひたすら開封していた。

ミニ焙煎機と電動ミルも。これからのコーヒー生活が絶対に捗ると確信して幸福。おなかが空いたのでこれからお昼です。